文学を強靭な糸に
中上健次さんの想い繋ごう
ここ一年ほどの間に急速に日韓関係が悪化した。私の周辺でも「こんなことはここ二〇年の間にはなかったことだ」と嘆く人もいる。
二〇年とは言わない。戦後一貫して日韓は関係改善の方向を見失わなかった。一時的に政治家の発言によってその関係に緊張が走ることもあれば、サッカーの試合結果が双方の不機嫌を生み出すこともなかったとは言えない。が、今回ほど長期にわたり、ある種の広がりを持って日韓関係が冷え込むことはなかった。
日韓関係の冷え込みの一因に日本のレイシスト(排外主義者)による在日韓国人、朝鮮人攻撃とそれに伴う嫌韓を標ぼうする出版物、夕刊タブロイド紙などの歪曲誇張された韓国報道などを挙げることができるだろう。
ちょうど一年ほど前のことになるが、作家の中上健次さんが生前に始めた熊野大学に講師として呼ばれた。呼んでくれたのは中上さんのお嬢さんの紀さんである。講師の私がお話の相手をしたのは韓国の作家の韓江さん。「菜食主義者」の翻訳が日本でも出ている。 中上健次さんが八一年にソウルを訪れた時以来、韓江さんのお父さんの韓勝源さんと親密な交際があったそうだ。韓勝源さんも作家であった。作家どうしの気ごころが知れた交際に寛ぐ、中上健次さんと韓勝源さんの写真が残されている。お嬢さんの韓江さんは、夜中に廊下でばったり出会った中上健次さんに頭を撫ぜてもらったのを記憶しているそうだ。まだ小学生だったと言う。
公の席で日本に蔓延するレイシズム(排外主義)の標的に韓国がされていることを話した。それまでは、公の席では「取るに足らない連中」のことは話すべきではないという雰囲気が色濃かった。二〇一三年七月の東京国際ブックフェアで李承雨さんにお会いした時もその話はできなかった。中上健次さんが創設した熊野大学だからこそ、話をすることができたのかもしれない。
日本を覆うレイシズムについて、公の席で話すことができるようになって一年。この一年が長いのか短いのか、私にはよくわからない。事態の深刻さは「とるに足らないもの」でもなければ「無視しておけばよい騒ぎ」でもないことは多くの人に理解してもらえるようになった。
私はこれを「越えなければならない山」だと、熊野大学の参加したみなさんにお話した。韓国にも朝鮮半島にも関心がなかった人々の視界の中に、その存在が映り始めていることを意味しているのだ。
日韓関係の冷え込みは多くの人が感じるところとなったが、同時に、八一年に中上健次さんがソウルを訪れた頃には考えられないほど多くの人や物そしてお金が、朝鮮半島と日本列島の間を行き来している事実はあまり損なわれていない。越えなければならない山は確実に越えられている。
この度、韓国文化院で「韓国現代小説読書討論会」を開催することになった。私も講師のひとりとしてパク・ミンギュ『カステラ』(クレイン刊)をテキストにみなさんと一緒に、読書と読後の感想を楽しませていただくことになっている。大規模な講演会ではなく、小さな読書会を開くのは、韓国文化院でも初めての試みだと聞いた。
読書会ではなく読書討論会とするところが、率直な議論を好む韓国らしいところだ。音楽や映画に比べ文学は孤独な営みであり、孤独を大切にする性質を持っているのでどうしても小さな集まりが大事になってくる。
一人ソウルを訪れた中上健次さんが韓勝源さんと親しく話をしたことが、中上健次さん亡きあとの日韓文学者会議に繋がり、中上健次さんが創設した熊野大学に韓勝源さんのお嬢さんの韓江さんが招かれるという、細いけれども強靭な糸のような繋がりを、韓国文化院で開催される「読書討論会」が生み出してくれれば、今越えて行く山道の険しさも数年後にはすばらしい眺望をもたらしてくれるものになることを期待している。
作家、法大教授、K‐BOOK振興会会長
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韓国現代小説読書討論会
第2回・9月18日19時。課題図書『母をお願い』(シン・ギョンスク著)。モデレーター/きむ ふな(翻訳家)。
第3回・10月24時19時。課題図書『設計者』(キム・オンス著)。モデレーター/金承福(クオン出版代表)。
会場はいずれも韓国文化院。先着20人。受け付けは各回2カ月前から。
同院ホームページ、FAX、往復はがき、または同院図書映像資料室カウンターで事前申し込み。詳細は同院ホームページ。問い合わせは同院(03・3357・5970)小田切、趙。
(2014.7.16 民団新聞)