民団は創立以来、母国のために多くの貢献をしてきた。その中でも最大の業績は、韓半島の分断と対立の中で、韓国の正統性の優位と安全保障に貢献してきたことだといえる。日本国内では、朝鮮総連に対抗して韓国国籍が圧倒的多数を占める在日同胞社会を築いた。また韓国の安全保障が風前の灯火のように危うかった韓国戦争の際には、直接参戦し北韓軍に対抗して祖国防衛の先頭に立った。
1950年6月25日、北韓の奇襲侵攻で戦争が勃発すると、在日青年学徒の危機意識と母国を救おうとする参戦の意志は日々高まっていった。日本で経験した亡国の痛みが彼らの信念をさらに強めた。同年8月、民団は中央本部に「自願軍指導本部」を設置し、自願兵の募集に乗り出した。その後、日本全土で若者や学生642人が自ら職場や学業を中断し、義勇兵として祖国の戦線に参加した。在日学徒義勇軍は国連軍の一員として、仁川上陸作戦、ソウル奪還戦闘、元山上陸作戦、恵山津奪還作戦、長津湖戦闘、白馬高地戦闘などに参加した。彼らの出征は、世界で初めて海外国民が祖国の防衛戦争に参加した歴史として語られている。
参戦過程で52人が戦死し83人が行方不明となり、合計135人の若い命が失われた。戦没者は1962年にソウルの国立墓地に安葬され、他の参戦勇士らは天安の国立「望郷の丘」に安葬された。民団は1973年に国立墓地に「在日学徒義勇軍戦没者記念碑」を、1979年には初めて参戦した仁川上陸作戦を記念して仁川壽鳳公園に「在日学徒義勇軍参戦記念碑」を建て毎年追悼式を行っている。1989年には東京の民団中央本部会館前に参戦記念碑を建立し、彼らの愛国精神を称えている。韓国政府は1965年から在日学徒義勇軍を国家有功者に指定し、礼遇と支援を続けている。