休戦70年! 忘れてはならない歴史がある。学生の身分で祖国を守りたい一心で志願、祖国のために犠牲になった「在日学徒義勇軍」をきちんと記憶し、崇高な愛国精神と歴史を継承する。-在日学徒義勇軍の実像と時代を生きたありのままを3回にわたって紹介する。尹錫悦大統領は昨年9月の在日学徒義勇軍同志会の記念式に次のような言葉を寄せた。
72年前、祖国を守るという一念で日本での生業と学業も中断し、愛する家族を離れて韓国戦争に参戦して身を投げた642人の在日韓国人義勇軍参戦勇士は大韓民国の誇らしい護国の歴史。
在日学徒義勇軍の勇士たちは仁川上陸作戦を皮切りに元山上陸作戦、長津湖戦闘と興南撤収作戦、白馬高地戦闘などで赫々たる戦功を立てた。
私たちが戦争の廃墟を乗り越えて目覚ましい繁栄と発展を成し遂げることができたのは、共産侵略に対抗して自由を守ってきた護国英雄たちの血と汗があったからこそだ。
尹大統領の言葉通り、来月で韓国戦争休戦70年を迎えるが、50年6月25日に戦争が勃発すると日本全域から青年と学生642人が自ら職場と学業を中断し義勇兵として祖国戦線に参戦した。在日学徒義勇軍である。
学徒義勇軍は学生身分で自発的に韓国戦争に参戦した義勇兵または義勇兵からできた部隊および組織を意味する。
135人戦死、242人帰日できず
在日学徒義勇軍は国連軍の一員として仁川上陸作戦に参戦し、元山・梨園上陸作戦、甲山・恵山鎮奪還作戦、長津湖戦闘、白馬高地戦闘等々にも参戦し135人の若い命が失われた。
これは67年の第3次中東戦争当時、世界各地に住んでいたイスラエル国民がアラブ連合軍との戦争で祖国を救おうと自ら入隊したことより17年も前のことであった。
韓国戦争が終わり、53年7月27日に休戦協定が調印された後、在日韓国人義勇軍は日本に帰還しようとしたが、日本政府は52年4月に締結されたサンフランシスコ条約を根拠に入国を拒否し、242人は祖国の地に残留、離散の痛みを抱えたまま学業と就職の機会を十分得ることができず悲しい歳月を過ごさなければならなかった。
在日学徒義勇軍同志会の前身は51年に結成された「在日韓僑在郷軍人会」。65年、韓国の地に残った在日学徒義勇軍は「在日学徒義勇軍同志会」を設立した。
韓国政府は65年12月年から在日学徒義勇軍を国家有功者に指定して、参戦の高い志を称えて67年1月に参戦者642人のうち所在確認者317人に「防衛褒章(現護国褒章)」を授与し、97年には所在不明などで叙勲できなかった45人を追加で褒賞した。
在日学徒義勇軍同志会では73年、国立墓地に「在日学徒義勇軍慰霊碑」を建立し、79年には最初に参戦した「仁川上陸作戦」を記念して仁川寿鳳公園に「在日学徒義勇軍参戦記念碑」を建て、毎年記念式典を行っている。
存命者は5人のみ
89年には韓国中央会館(在日本大韓民国民団中央本部)前にも「在日学徒義勇軍参戦記念碑」が建てられ、崇高な愛国精神を称えている。
また、08年12月に国立ソウル顕忠院16墓域を「在日学徒義勇軍墓域」と定め、翌年09年4月には「在日学徒戦没勇士慰霊碑」が建てられた。
14年5月には韓国中央会館前に朴槿恵元大統領の親筆揮毫である「忠魂碑」を除幕、設置された。
元兵士は、大半が亡くなり、生存しているのは23年6月現在日本2人、韓国3人と合わせて5人である。
(2023.6.21民団新聞)
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