「込められた意味」
北海道江別市立大麻東中学校3年
金 美怜
中学生を対象とした「第44回少年の主張全国大会~私の主張2022~」(国立青少年教育機構主催)に、北海道代表として在日韓国人4世の金美怜さん(江別市立大麻東中学校3年)が発表した私の主張「込められた意味」の全文を紹介する。
苗字変えなかった父の思い
「人と違う」をプラスに
あなたは、「人と違う」ことを恥ずかしいと感じたことはありますか。あなたにとって「普通」とは何だと思いますか。
私の父は韓国人で、俗に言う「在日韓国人」です。私の「金」という苗字も、父のものです。
この苗字を聞いた時、多くの人は、物珍しそうな目で私を見ます。そして、何かを悟ったような顔をします。私は、それを見るたびに、うんざりしました。区別されている気分で、居心地が悪かったからです。
小学生の頃は、苗字をいじられることも多く、基本、笑って返していましたが、やはりいい気分ではありませんでした。友達には悪意がないことを分かっていても回数を重ねるごとに、「私は人と違う」「私は普通じゃない」という思いが強くなっていきました。
こうしたことが度重なり、いつからか私は自分の苗字が嫌いになっていました。自分で名乗ることも、誰かに呼ばれることも、全てが嫌で仕方ありませんでした。
もちろん、親に話すことなど出来ませんでした。話せば、悲しい顔をさせてしまう、困らせてしまう、と分かっていたからです。
親には言わない、そう決めていたつもりでした。ですが、ある時、母に本音をぶつけてしまいました。
「皆は普通の苗字なのに、どうして私は普通じゃないの?何で私だけいじられなきゃいけないの?こんな苗字なんか、嫌いだ!」言い過ぎたと思った時には、もう手遅れでした。母は、悲しそうな、困ったような顔をしました。「そんな顔をさせたかった訳じゃないのに」私はすぐに後悔しました。その半面、私の中には、明確な答えが返って来なかったことに対するモヤモヤした気持ちが残りました。
何も変わらないまま、ただ時が過ぎて、私が中学生になってしばらくした、冬頃でした。父が、ニュースを見て、「この人、在日じゃないかな。」と、呟きました。疑問に思い、父に聞いてみました。
「どうして苗字を変える人が多いの?」父は、少し顔を曇らせてから、話し始めました。
「昔は、今よりも差別が酷かったんだ。その名残みたいなものかな。隠すためだよ。」父の口から、このことを聞いたのは初めてでした。そして、私に、父が中学二年生の時に書いた生活体験文を見せてくれました。
読み終えた時には、涙が頬を伝っていました。あまりにも残酷で衝撃的過ぎる内容を受け止めきれませんでした。所々違う送り仮名や決して上手じゃない表現も、今は私の涙を誘うだけでした。 この時、初めて知りました。差別やいじめに耐えられず、叔父が自殺しようとしたこと。父が日本に来てから苦労した数え切れない程、沢山のこと。これまでの父を思うと、涙は止まりませんでした。父は淡淡と話しました。
「俺は、苗字を変える必要なんてないと思ってる。悪いことじゃないんだから。これから先、この苗字で嫌な思いをすることもあるかもしれない。それでも、堂々と生きなさい。」初めて苗字に隠された父の思いを知りました。解消されることのなかった私の心の中のモヤモヤは、その言葉で消えました。
苗字を変えるか、変えないか。この選択に正解はないと思います。ただ、一つだけ言えるのは父がこの選択をしてくれて、良かったということです。
私は、それ以来、隠すことをやめ、父の望む堂々とした生き方をしたい。と思えるようになりました。父のおかげで、私には他の人よりも広いルーツがあるのです。それは、何にも代えられない、私の宝物です。
そして、同じような立場の人が生きやすい世の中になって欲しいな、と思います。「人と違うことは何も悪いことじゃない」と、誰もが言える世の中であってほしい。そう強く願います。私自身、違いを排除するのではなく、理解し、寄り添おうとする生き方をしていくつもりです。皆さんも「人と違う」ことをマイナスに捉えるのではなく、プラスに捉えてみて下さい。違うことを気に病んだりせず、自分だけがもつ、「かけがえのない一面」と考えてみませんか。きっと、視界が広がって、色んな思いを知ることが出来ると思います。私の思いが少しでも多くの人に伝わると嬉しいです。
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(2022.12.07民団新聞)