「金はないけど名前を残した」
【西東京】徐雄炯さん(72、立川市)は63年に建国勲章独立章を受章した独立運動家の徐相漢さんを父に持つ。昨年8月には「国外居住独立有功者後孫」の一人として国家報勲処から招待を受けた。日本からは雄炯さん一人。雄炯さんはこのとき、あらためて父親の偉大さを思い知らされた。
相漢さんは日本の植民地統治下、「東京労働同志会」を組織して活動した。解放後は民団の活動に没頭し、家庭を顧みることは少なかった。母親が経済的に苦労しているのを目の当たりにして育った。
雄炯さんは中学を中退して働きに出た。初めての給料はすべて母親に差し出したほど。父親に対しては恨みを抱いたこともあったと言う。ただ、相漢さんが亡くなったとき、貧しかった拝島の家を弔意の花輪が埋めつくしたことだけはよく覚えている。民団葬も別途に行われた。
雄炯さんが父親の存在をありのままに受け止められるようになったのはここ数年のことだ。叔父も韓国の教科書に載るほどの著名な独立運動家の徐相日だと知らされたことも影響した。
雄炯さんは国立墓地に眠る父親のもとに赴き、「韓国人として誇りを持て」とばかり、墓碑に自らの名前と子ども夫婦、孫まで家族7人の名前を入れた。「うちの親父は金はないけど、名前を残した。やはりすごい」と。
(2015.1.28 民団新聞)