清算されないままの流言飛語
歴史学者、姜徳相さん(在日韓人歴史資料館長)が8月30日、韓国中央会館で開催された第170回記者懇談会で講演し、流言飛語を流したまま、いまだに取り消そうとしていない日本の国家責任をあらためて指摘した。国の責任を明確にしてこなかったことが、他民族への差別と迫害を容認・助長する社会意識を生み出し、それが現在も続くヘイト・スピーチの温床になっていると指摘した。
他民族への差別と迫害の温床
関東大震災時の流言飛語の背景が日本の歴史学会で議論され始めたのは約50年前にさかのぼる。京都大学の松尾尊さんが「日本に根深い朝鮮民族に対する民衆的な偏見、差別感が根っこにある。従って発生源は関東一円にある」と主張したのに対し、いち早く「官憲内発説」を唱えたのが姜さんだった。
「当時の朝鮮人は工事現場のようなところにいて、一般の庶民とは日常的な接点がなかった。たとえ、偏見はあっても、震災時に『朝鮮人が毒を入れた』と考える余裕があっただろうか。朝鮮人を監視、あるいは日常的に取り締まるという訓練を受けていたのは憲兵や警察のほうだ」。姜さんは当時の関連文書でも、そうした事実を確認している。
二人の間で論争は続いたが、姜さんが10年前、朝鮮史研究会で「官憲説が主体」とあらためて主張した際にはほとんど異論が出なかったという。
08年には戒厳令のさなか、軍隊が朝鮮人虐殺の主体を担ったという主張を掲げ、持論をさらに補強した。この権力に率先、能動的に付き従ったのが自警団だった。朝鮮人を識別するために使った濁音続きの「15円55銭」を自警団に教えたのは当時の内務省警保局だった。自警団による虐殺は、国が積極的に誘導したものともいえよう。
1923年末、国会で当時の山本権兵衛首相に対して2人の代議士が、「朝鮮人に謝罪しないのか」と質問したところ、山本首相は「目下調査中」と答えたのみだった。同じく韓日会談が妥結に向かうころには、共産党議員が同様な質問をしたが、当時の池田勇人首相は、「寡聞にして存ぜず」と答弁している。
つまり、日本人一般に刷り込まれた流言飛語は、90年が経過した今日に至るまでも、公式に取り消されたわけではないのだ。
03年8月には日本弁護士連合会が政府に責任を認めて謝罪し、真相を調査するよう勧告したが、いまだに無視したまま。こうしたなか、東京都教育委員会と横浜市教育委員会発行の副読本に記されていた「虐殺」などの文言が、「命奪われた」「殺害」に変更されているのが実情だ。
姜さんは「国が責任を認めないまま90年もの間、放置してきたことで、朝鮮人は怖いといった流言飛語があたかも真実だったかのように一部の人びとの記憶に刷り込まれている。今日のヘイト・スピーチに見られる在日韓国・朝鮮人に向けられた憎悪も、他民族への差別と迫害を容認・助長する社会意識から出ているものだ」と強調した。
(2013.9.11 民団新聞)