掲載日 : [2022-07-22] 照会数 : 2735
来館者50万人達成…東村山市の国立ハンセン病資料館
[ 認定証を受ける小林明子さん(右) ] [ 資料館内部のジオラマ ]
在日同胞中心に創設
国立ハンセン病資料館の前身、旧高円宮記念ハンセン病資料館創設の中心となったのは在日同胞の故金相権さんだった。
金さんは全羅南道出身。幼少時に東京へやってきたところ、大空襲で大やけどを追った。病院でハンセン病の診断を受け、群馬県草津町の国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」に入所した。当時14歳。栗生楽泉園では逃走などの理由で患者を強制収容し、23人が死亡した懲罰施設「重監房」に食事を運んだ最後の生き証人となった。
戦後、ハンセン病は薬物治療で治る病気になっていたのにもかかわらず、入所者は日本政府によるらい対策の過誤により社会復帰を許されなかった。特に在日韓国・朝鮮人はハンセン病に対する社会的な偏見と併せ、二重の差別に苦しむ。金さんは70年にもわたる人生を療養所で過ごさざるをえなかった。
東京都東村山市の国立療養所多磨全生園に移ると強制隔離政策で受けた被害と人権の大切さを伝える語り部として講演を続けてきた。
特に資料館設立においては全国の療養所をまわり、約1300点もの資料収集や展示制作を行った。1993年の開館後も運営の中心を担い、午前中は入所者自治会に、午後からは資料館に出勤。正月以外に休みをとることはほとんどなかったといわれる。07年3月、国立ハンセン病資料館としてリニューアルオープンした。
国立ハンセン病資料館(内田博文館長、東京都東村山市)の来館者が7日、節目の50万人に達した。前身の「高円宮記念ハンセン病資料館」の設立・開館から29年が経過しての大台達成となった。
節目の来館者となったのは東京・中野区在住のカメラマン、小林明子さん(38)。2階展示室で見学中に職員から知らされ、「びっくりした」という。1階ギャラリーで待機していた内田博文館長と全国ハンセン病療養所入所者協議会(略称・全療協)の藤崎陸安事務局長から認定証などを贈られた。
小林さんはハンセン病問題にはもともと興味があったという。「いつか見に行きたい」と思っていたところ、たまたま友人から誘われたことから、この日の訪問となった。「まだ十分見ていない」としながらも、次のように印象を語った。
「閉ざされた空間で入所者がどういう生活をしていたのか、よくわかった。差別の中で生きることがどれだけ大変だったのだろうか。なんの不自由もなく暮らせるいまの自分には想像もできないことだが」
内田館長は「ハンセン病は過ぎ去った過去の問題ではない。療養所の入所者が高齢化していく中、差別と偏見を解消していく啓発活動を強化していく。オンラインでの発信や学芸員の出張講座など、時代にあった伝え方を模索していきたい」と語った。
同館は新型コロナ対策のためこれまで事前予約制を続けてきたが、現在は予約不要で入館できる。月曜日および「国民の祝日」の翌日が休館。月曜日祝日の時は開館。無料。9時30分~16時30分。東京都東村山市青葉町4‐1‐13。042・396・2909。
(2022.07.20 民団新聞)