掲載日 : [2022-08-16] 照会数 : 2308
金順吉裁判提訴から30周年…厚生年金脱退手当35円支給
[ 強制徴用から被爆までを記録した「出張日記」 ]
「最終かつ完全解決した」請求権協定に〝蟻の一穴〟
長崎で被爆した韓国人の元徴用工、金順吉さんが日本国や徴用先の三菱重工業などを相手に慰謝料、未払い賃金と帰国費用などの支払いを求めた裁判から7月31日で30周年。これを記念する支援者らによる集会が7月30日、都区内で開かれた。
金さんは1945年1月、国民徴用令により釜山から三菱重工業長崎造船所に連行され、労務に従事させられた。作業中、原子爆弾に被爆。金さんは自力で帰国することを余儀なくさせられた。
「出張日記」決め手に
金さんは92年に提訴。一審・長崎地裁は「国家無問責任論」や「別会社論」により賠償請求こそ棄却したが、賃金不払いの事実を認め、警官による連行の強制性や軟禁に近い状態で労働を強いた不法行為責任も認定した。
決定的な証拠となったのが、金さんが強制徴用されて被爆するまでを記録し続けた192㌻にわたる手のひらサイズほどの「出張日記」だった。金さんは帰国後も47年間、長期に保存していた。「出張日記」には当時の徴用工の実態や食糧事情、激しさを増す空襲、未払い賃金などのことが克明に記されていた。
金さんから提訴を前に「出張日記」を託された平野伸人さん(金順吉裁判を支援する会共同代表)は記念講演で「この日記は日韓で論争となっている徴用工問題で『物言わぬ歴史の真実』を語りかけてくれます」と述べた。
裁判に取り組むなか巨額の「郵便貯金」と社会保険の「脱退手当金」の存在が明かになった。この「脱退手当金」は菅直人厚労相(当時)の「英断」で金さんに支払われた。金額はわずか35円。
しかしながら「日韓請求権協定において両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した」とする日本政府の見解に「蟻の一穴を掘った一瞬である」(平野伸人)。