掲載日 : [2016-11-30] 照会数 : 4477
『関西スケッチさんぽ』の表紙にも…在日2世の画家・金愛子さんが50年を語る
[ 自作「南原の民家」の前に立つ金愛子さん ]
[ 雑誌の表紙 ]
[ 掲載された京都御苑 ]
絵を描く喜びに突き動かされて
光陽展で新人賞や会員奨励賞など、数多くの賞を受賞してきた在日2世の画家、金愛子さん(60、京都・左京区)が手がけたスケッチ4作が、雑誌『名所を歩く 関西スケッチさんぽ』(京阪神エルマガジン社)で紹介された。京都の有名観光地4カ所を、鉛筆と透明水彩を用いて描いている。「画家になりたい」という子ども時代からの夢を叶えた金さんに、絵に対する思いを聞いた。
民団左京支部支団長も務める
表紙には、画家5人のスケッチが掲載されている。ひときわ目を引くのが、鮮やかな朱塗りの門が印象的な平安神宮。金さんの絵だ。平安神宮以外にモダンな建築の京都美術館、京都のシンボルと称される鴨川、そして京都の中心部に位置する憩いの場である京都御苑が掲載されている。
淡い線と落ち着いた色合いの中にほんわかした温かさがあり、観る者を穏やかな気持ちにさせてくれる。先日「金先生の絵が『スケッチさんぽ』の表紙に載っていたよ」と知り合いに声をかけられびっくり。表紙に載ることは知らなかったので「とてもうれしい」。
絵を描くと喜びで一杯になる子どもだった。小学校1年生からの夢は画家になること。4年生から6年生までの間、担任は金さんが描いた絵を教室に飾り、皆で鑑賞したいう。
京都韓国高校卒業後に就職したが、「毎日絵を描きたい」という理由から4年目に退職した。
24歳のとき、洋画研究所の先駆けとして知られる関西美術院(京都・左京区)に入学した。午前は研究所、午後は写生に専念、夕方からは画材代を稼ぐためのアルバイトと忙しい毎日だったが、「少しも苦にならなかった」という。
当時の悩みは、絵に理解を示さないオモニとの確執だった。早くに亡くなったアボジに代わり、苦労を重ねたオモニに逆らうことは許されなかった。だが、絵に対する情熱は抑えきれず、自分の意思を通してきたと話す。「描かずにはいられない自分は、いったいなんなのか」と自問自答しながら描き続けた。
20代半ばの時、展覧会でフランスの印象派画家、カミーユ・ピサロの風景画を目にした途端、オモニの郷里である韓国全羅北道南原の田園風景と重なった。戦慄が走り、しばらく絵の前でたたずんだという。この出来事をきっかけに、韓国でも制作活動を行う。
当時、30歳だった3度目の渡韓では、詩人だったハラボジ(母方)が生まれ育った南原の村で一日、絵を描き続けた。思うような表現ができず落胆したが、その時「初めて韓国のエネルギーを感じ、天に近い国だと思った」。ハラボジがかげろうのように浮かび「自然や風景と一体になって集中したらそれでいい」という声が聞こえたという。
「この地で詩を書いていたハラボジが、私に教えてくれた」と当時を振り返り、目頭を熱くした。「自然は偉大です。人間は自然の恩恵を受けながら生かされている。常に敬虔な気持ちを持つことを信条に絵にと向き合うようになった。これは私の原点になっている」
金さんは去る5月、民団京都左京支部初の女性支団長に就いた。「最初は辞退することも考えたが、天から与えられた使命と思い受け入れた」
年4回開催している65歳以上を対象にした「麗容会」では、婦人会のオモニたち手作りの韓国料理に舌鼓を打つハラボジやハルモニの姿に元気をもらい、月2回の顧問たちの集まりでは、先輩たちの言葉に耳を傾ける。
支部では、韓国語教室や絵画教室のほかに、10月からはヨガ教室もスタートした。「文化を通じて、団員や地域の人たちが集まれる支部、喜ばれる支部にしていきたい」と金さん。画家と支団長の二足のわらじで今日も奮闘中だ。
(2016.11.30 民団新聞)