掲載日 : [2021-01-27] 照会数 : 5064
<寄稿>南北赤十字会談開始から50年…有名無実の「離散家族」合意<中>
[ 2018年8月の金剛山離散家族再会を終えて別れのあいさつを交わす南北の家族。この後、金剛山での離散家族再会行事はもとより、画像対面やビデオレターの交換すら一度も実施されていない。 ]
むなしく響く「わが民族同士」
◆高齢化進む家族 一刻猶予もない
大韓赤十字社の「離散家族情報統合システム」に88年以降登録した韓国側の離散家族再会申請者は13万3000人あまり。
このうち、約6割(8万人)が再会を心待ちにしながら亡くなっている。一昨年だけで3100人が肉親との再会を果たせないまま世を去った。残りの生存者5万人余りもみな高齢者で、70歳以上が全体の86%、80歳以上が65%を占めている。
これまでのように、北側当局の都合によって実施される再会行事ごとに、南北が選抜したそれぞれ100人が金剛山地区で相手側家族・親戚と会うやり方には限界がある。
再会行事そのものが不定期で、必ず再開されるという保証もない。今後、仮に毎年5回実施し500人が再会を果たしたとしても、韓国にいる5万余人の申請者全員が夢を果たすには100年かかる。従来の方法では離散家族問題の解決が不可能なことはあまりにも明白である。
ちなみに、国連人口基金(UNFPA)と韓国の人口保健福祉協会が昨年7月1日に公表した2020年の「世界人口現況報告書」によると、韓国の平均寿命は83歳で北韓の平均寿命は72歳である。
大韓赤十字社の朴庚緒総裁は、「4・27板門店宣言」に基づく2018年8月の金剛山での離散家族再会行事後の記者会見で、離散家族の高齢化と合わせて生存者が年々少なくなっていることに触れ、「7~10年後には、離散家族再会事業をこのような形で実施するのは難しくなる」と厳しい現実に言及。北の赤十字会側と「離散家族の生死確認と定例再会、画像再会、故郷訪問、墓参などの問題について意見を交換した」と明らかにした。
朴総裁は、その後の会見では「故郷訪問団は実際に故郷を訪問するわけではなく、金剛山の離散家族面会所の隣に設けられた望拝壇で先祖供養の儀式を行う」と説明。さらに「来年(19年)の春からは南側離散家族たちが2泊3日の日程で平壌を訪問する行事も推進したい」と強調していた。
文在寅大統領も、19年3月1日の「第100周年3・1節記念式典」演説で「自由で安全な北韓への旅行を実現させ、離散家族が単なる再会を超え、故郷を訪問し、家族・親戚に会えるように推進していく」と表明した。
韓国側離散家族の北側訪問を推進するというもので、「相互訪問の実現」を主張するものではなかった。それでも北側の呼応を得られなかった。
19年および昨年は南北協議すら行われず、金剛山地区での離散家族対面はもちろん、映像での再会やビデオレターの交換も行われなかった。
◆再会推進呼びかけに北側は沈黙
昨年(2020年)は「6・25韓国戦争」70周年と「6・15南北共同宣言」20周年を迎える年で、離散家族の再会推進に対する期待が高まっていた。
昨年8月、大韓赤十字社総裁に就任した申熙泳氏は、聯合ニュースとの書面インタビュー(8月26日)で、改めて南北離散家族の再会問題を緊急課題として提起。「離散家族が早期に北韓にいる家族と会えるようにしなければならない。(南北)赤十字会談が開催されるように政府と北に強く呼びかけたい」と強調。新型コロナウイルス対策もあり、直接対面による再会が難しくてもビデオレターの交換、テレビ電話方式での再会など非接触の交流についても北側と積極的に協議したいと述べた。
だが、これに対しても北側が応じることはなかった。
また、「9・19平壌共同宣言」2周年を3日後に控え昨年9月16日に板門店を訪問した李仁栄統一部長官は「秋夕(旧盆)前に金剛山や板門店で離散家族再会を実現させる時間的余裕はない。テレビ電話を通じた再会やビデオレターを交換できる機会は、(南北の)意志があれば、作れるのではないか。北側が応じれば、直ちに実行できる準備を整えている」と強調した。
これに先立ち李長官は、7月21日の統一部長官候補者としての記者会見で「食べることや病気、死ぬ前に会いたいといった人道的な交流・協力の領域は、韓米作業部会で協議せず、(韓国)独自に判断し政策を推進する」と表明していた。
李長官は、11月4日の板門店の見学支援センター開所式での演説では①南北連絡窓口の復元②板門店での離散家族再会③板門店内の南北の自由な往来を北側に提案した。
北側の歴代最高指導者が、真に「同胞愛」を発揮し、率先して南北首脳間合意を誠実に履行してきたならば、この半世紀の間に離散家族の「常時再会と相互訪問・再結合」は実現し、南北間最大の人道問題は解決されていたはずだ。
南北は、72年8月から始まった南北赤十字本会談で、南北離散家族・親戚の①住所と生死の確認②自由な訪問と対面の実現③自由な文通の実施④自由意思による再結合問題を議案とすることで合意していた。
北側は、この南北赤十字会談で「提起された全問題において民主主義の原則と自由の原則を徹底的に貫徹すること」を強調、「離散家族捜し事業は赤十字機関の関与なしで当事者が直接相手方地域を自由に往来して捜すことを基本方式とする」ことを主張していた。
また北側は、85年の赤十字会談では「当事者が赤十字発行の委任状を持ち、別れた当時住んでいた場所に赴き、1カ月滞在して調べる」と、やはり「当事者の自由往来」を主張していた。
その後、北の金日成主席は、90年1月1日の「新年辞」で「北と南の間の障壁を崩し、自由往来を実現させ、北と南が互いに全面的に開放すること」を主張し、その前提条件として「まず軍事境界線の南側に築かれたコンクリート障壁から崩さなければならない」と強調。「コンクリート障壁を現存させながら、『開放』や『統一』を言っても世界の人々はそれを認めない」と力説した。
これに対して韓国の盧泰愚大統領は、同年1月10日の年頭記者会見で「理解しがたい前提条件を付けているが、南北間の自由往来と全面開放問題を提起したことを歓迎する」と表明。「南北間で自由往来、全面開放の合意に時間がかかるならば、まず書信(手紙)の交換と電話通話、南北離散家族の自由な往来からでもなされるようにすべきである。離散家族全員(の往来)が難しいならば、60歳以上の高齢者からでもすぐに故郷を訪問できる用意をすべきである」と提案した。
同時に「民族統合のための最も核心的なこの問題を南北当局、特に、その最高責任者間の会談を通じて解決することができる」と強調、速やかに南北首脳会談に応じるよう促した。
しかし、金日成主席は、このような逆提案には応じなかった。
◆「民族への誓い」なかったことに
この後、南北双方は91年12月に分断後初めて南北の総理(首相)が署名し、翌92年2月に正式発効した「南北基本合意書」(南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書)で、「民族構成員の自由な往来と接触を実現する」(第17条)ことを約束し、「離ればなれになっている家族・親族の自由な書信交換と、再会および訪問を実施して、自由意思による再結合を実現し、そのほか人道的に解決する問題に対する対策を講じる」(第18条)ことを明らかにした。
金日成主席は、この「南北基本合意書」について92年2月、平壌での第6回南北総理会談を終えた双方の代表団を前に声明書を読み上げ、「今回発効した合意文書(南北基本合意書と韓半島非核化共同宣言)は北と南の責任ある当局が民族の前に誓った誓約だ」と強調している。
「共和国政府は、この歴史的な合意文書を祖国の自主的平和統一の道で達成した高貴な結実と考え、その履行にあらゆる努力を尽くす」と約束した(林東源『南北首脳会談への道 林東源回顧録』/岩波書店、08年)。
それにもかかわらず、北側は、この「約束」を同年末までに一方的に破り、結局「全同胞への誓い」・「高貴な結実」をなかったことにしたのである。
朴容正・元民団新聞編集委員
(2021.01.27 民団新聞)