掲載日 : [2016-09-14] 照会数 : 6615
<決死の北送阻止>貴重な映像発見…歴史資料館で公開
[ 「中央民衆大会」を終え、日本赤十字社へ向かう民団のデモ隊(1959年9月21日) ] [ 「北送反対闘争委」などの資料 ] [ 東映が撮影したフィルム7本 ]
59年撮影フィルム7本に30分
在日韓人歴史資料館が民団による1959年の北送反対闘争を記録した貴重なフィルム7本をデジタル化し、一般公開している。主なものは新潟での「8・15北送反対中央民衆大会」、日本赤十字社への抗議活動と当時の民団中央本部の様子、「在日韓人北送絶対反対中央民衆大会」(9月21日)の模様など。音は聞こえてこないものの、当時の反対・阻止闘争にかける民団の熱気だけは確実に伝わってくる。
駐日大使館元領事が寄贈
9月の中央民衆大会は東京・千代田区の日比谷野外音楽堂で撮影されたもののようだ。撮影時間は16分15秒。現存する7本のフィルムの中では最も長い。
会場を都内の民団各支部と関東の各地方本部から駆けつけた団員が埋め尽くした。鄭寅錫中央団長が「われわれは同族を北に帰してはならない」と声を振り絞っている。集会後は東京韓国学校のブラスバンド部を先頭に日本赤十字社に向かう。林立する大きな太極旗が風にそよぐ様子は壮観だ。全員、白いはちまきを締めて、並々ならない決意が伝わってくる。
港区の芝公園では、寧柱氏をはじめ全国から参集した同胞青年52人が断食闘争に入った。婦人会も8月23日に都内で中央決起大会を開催。バス数十台に便乗して日本赤十字社に抗議に押しかけた。たすき掛け姿で庁舎に入る代表団の表情からは悲愴感が伝わってくる。
新潟では8月15日、北送反対闘争中央民衆大会を開催。バスの外には「日本政府は在日韓国人の北送を断念せよ」の横断幕。8月23日、羽田空港に降り立った赤十字国際委員会のジュノー副委員長は、在日同胞の反対闘争に驚きの表情を見せていた。
フィルムは映画製作の東映から提供されたものだという。75〜78年に駐日韓国大使館領事部に領事として勤務していた李鎭圭氏(75、ソウル市)が保管場所に困っていた大使館の資料室担当者から譲り受け、保管してきた。10年、「大事な資料なので、在日の若い人たちのために残すべきだ」と民団本国事務所に寄贈。民団中央本部文教局を通じて在日韓人歴史資料館に渡った。フィルムは著しく劣化していたが、映像は鮮明。収録時間は合わせて30分ほど。
当時の資料も
李氏が保管していた北送反対闘争中央委員会の資料も同資料館で閲覧できる。主なものは「北送反対闘争委員会声明書綴」「北送反対闘争委員会既決起案書」「北送反対闘争委員会予定表」など。
民団は59年2月2日に「北韓送還反対闘争委員会」を構成。当時の藤山愛一郎外相に「北送は韓国の主権を侵害し、非人道的行為である」とする抗議文を手渡した。
しかし、日本側がこれに応じなかったため、全国45カ所で「北送反対闘争民衆大会」を開催。これが阻止闘争へと移行していった。北に向かう新潟行きの列車を実力で止めるなどした決死の阻止闘争にもかかわらず、第1次北送船は59年12月、新潟港から清津港に向かった。84年までに北に渡った同胞とその家族は9万3340人にのぼる。
(2016.9.14 民団新聞)