掲載日 : [2020-11-26] 照会数 : 10597
慈しみの人 浅川巧 小説「かけはし」刊行の中川なをみさん
[ 小説『かけはし 慈しみの人・浅川巧』と作者・中川なをみ氏 ]
韓国の緑化に尽くし民芸品の美を発掘
平らかな精神が
人々に愛された
日本の植民地下の韓国で、荒廃した山林の緑化に尽くし、庶民が日常的に使う工芸品などに美を見い出した浅川巧(1891~1931年)。23歳で渡韓してから韓国人の生活様式を身につけ、40歳で亡くなるまで庶民の心に寄り添いながら生きた。巧の人間味豊かな姿を描いた小説『かけはし 慈しみの人・浅川巧』(新日本出版社、2020年9月刊)の著者、児童文学作家の中川なをみさんに思いを聞いた。
中川さんは、浅川巧と同郷の山梨県出身。幼い頃から大人が話題にする巧の仕事の話を聞いて育った。当時の巧の印象は「遠い人だけれど気になる存在」だった。
児童文学作家として活躍する中川さんが「自身の思い描く浅川巧を表現してみたい」と思ったのは、関連書籍での巧像に、物足りなさを感じていたからだ。
「巧の思想(言動)は、幼少期の生活環境で育まれたものがキリスト教との出会いで、信仰の元に大成したように思う。そこが一番大事なことなので、ぜひともそのように書き残したかった」
巧の父親は巧が生まれる前に他界している。兄の伯教と巧を育てた祖父の生き方やキリスト教を信仰することは、巧にとって精神的支柱となっていた。
中川さんと巧にはいくつかの類似点がある。「育った環境もキリスト教との出会いも、巧とよく似た経験がある私は、彼の足跡を追うにふさわしい人間に思われた」
子どもの頃から樹木が好きだった巧は、山梨県農林学校(現在の山梨県立農林高等学校)へ進学する。卒業後、秋田県大館営林署に勤務。京城(現在のソウル)の小学校で教員になった伯教の勧めで韓国へ渡り、朝鮮総督府農商工務部山林課雇員として勤務する。そして巧は庶民の生活雑器に惹かれていく。
中川さんは、巧は聖人君子ではないと指摘する。「巧はどこにでもいる市井の人です。特別ではない人が特別な人たちと誠実に交流をするうちに影響されて、いつの間にか大きく豊かな人間に成長していく様に、人間としての尊さを表現したいと思った」と強調した。
作中、ソンジン、ヘジョンという架空の兄妹を登場させたのは、何より読者に楽しく興味深く読み進んでもらいたかったからだ。
巧は日本人を嫌うソンジンの心を開き、お互いにかけがえのない存在になっていく。2人の関係は、人は心で結びつくということの本質を表しているようだ。
韓国の人たちは、自分たちと分け隔てなく交流する巧を愛した。巧が亡くなったとき、人々は群れをなして別れを告げに集まったという。
当時の韓国の人たちは「今の私と同じように、巧にまず『親しみ』を感じたのでしょう。その親しみの中に敬意も敬愛も含まれている」そして「次に感じたのは巧の平らか(公平)な精神かもしれない。人は誰でも平らかな人は信じて受け入れるように思う」と分析する。
中川さんは「日頃、使命感などという言葉とは無縁に生きているが、今回はそれに近いものを感じている。やらなければならなかったことをやり遂げたような安堵感がある」と表情を崩した。
『かけはし 慈しみの人・浅川巧』
定価1600円+税。
新日本出版社・編集(03・3423・9323)。
(2020.11.25 民団新聞)