連載の神奈川新聞社が発刊
自治体首長らが発起人会構成
【神奈川】民団神奈川本部常任顧問、黄昌柱さん(88、湯河原市)の自叙伝『マイウエイ(わが人生)‐共に栄える』(神奈川新聞社)の出版記念祝賀会が17日、横浜市内のホテルであった。祝賀会の発起人を務めた神奈川県議会の向笠茂幸議長、加藤憲一小田原市長、古谷義幸秦野市長、冨田幸宏湯河原町長らをはじめ250人が出席した。
自叙伝は黄さんが14年6月から3カ月間、計62回にわたって神奈川新聞に連載したもの。連載中から「まとめて読みたい」と大きな反響を呼び、同新聞社が韓国語版と併せて単行本化した。出版にあたっては黄さん自ら原稿に加筆・修正した。
本書の導入部では、京畿道と長洲一二知事当時の神奈川県の間で友好提携の橋渡しをした思い出をつづった。表向きは通訳だが、「ただの通訳ではない」(出版記念会発起人の牧島かれん衆議院議員の話)。
黄さんは私費で何度も京畿道を訪問し、お互いが信頼関係を築けるよう陰ながら根回しに努めた。当時の盧泰愚大統領と長洲知事との間で異例の会談が実現したのもその一つ。長洲知事の提案からわずか1年足らずの90年4月、念願の友好提携は実現した。県の担当者は本書で「黄さんがいなければ京畿道との連携はできなかった」と述懐している。
黄さんが居住する湘南エリアでも、日韓親善協会の場で懇意になった地方議員を通じて、韓日間の橋渡しに協力してきた。黄さんの居住する湯河原町と清州市、秦野市と坡州市、小田原市と黄さんの出身地である済州市との交流がそれだ。
連載でとりわけ反響の大きかったのは、幼少期および、親戚や友人のいなかった湯河原町で事業を始めるまでの困窮ぶり。黄さんが成功を収めることができたのは、今の貨幣価値に換算して3億円に相当する融資の保証人を引き受けてくれた日本人夫妻がいたから。これも地域と共に栄えることをモットーとしてきたからこそ得られた信頼だった。
発起人の一人を務めた民団神奈川本部の金利中団長は、「民団ばかりか、地域社会も愛し、双方で大きな貢献を果した。一緒にいると温かい気持ちになる」と黄さんの人柄を称えた。
黄昌柱 1927年、済州島生まれ。民団湘南西部支団長、民団神奈川本部団長を歴任し、現在は民団中央本部顧問も兼ねる。国民勲章牡丹章受章。
問い合わせは神奈川新聞社(045・227・0745)。
(2015.2.25 民団新聞)