掲載日 : [2019-12-14] 照会数 : 7563
時のかがみ「時刻表に乗って」津川泉(脚本家)
[ (左)「月刊観光交通時刻表」(右)「韓国・サハリン鉄道紀行」 ]
車窓の楽しみのほかに出会いという〝絶景〟が
「毎年煤払は極月十三日に定めて」(井原西鶴『世間胸算用』)とあるように新年を迎える年用意はちょうど今ごろから始まる。その一方でこんな俳句もある。
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煤逃げの小田急電車混み合へり
佐川広治
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もっぱら「煤逃げ」を決め込む口だった私も、今年は真面目に蔵書を整理し、本棚3本も処分した。その時出て来たのが韓国の時刻表(「月刊観光交通時刻表」写真)である。
韓国の鉄道を旅する時はもちろんだが、そうでない時もよく買い求めた。未踏の地を探索するためである。
ところが、いつの間にか韓国のどこの駅の売店を探しても、あのお馴染みの赤い表紙が見当たらなくなってしまった。調べてみるとなんと2012年に廃刊になっていたのである。
思えばいつも韓国を旅する旅鞄の中にはこれが入っていた。なぜなら、この小さな冊子には鉄道だけでなく、全国の地下鉄、国内航空便、国内フェリー、高速バス、市外バスの時刻表はもとより主要観光地の文化財観覧料金まで載っていたからである。
はるばる江原道のアウラジまで清涼里から5時間近くかけて旅して来たというと「なんで鉄道なんかに乗るの。高速バスなら半分以下の時間で来れたのに」と地元の人に笑われた。
やはり時刻表は実用的な読み物なのである。
「『列車に乗る』のではなく『時刻表に乗る』」という名言を吐いたのは紀行作家宮脇俊三である。
そのデビュー作『時刻表2万キロ』(78年河出書房新社)は当時の日本の鉄道を乗りつぶした「乗り鉄」の記録である。
そんな宮脇さんが初めて韓国鉄道の「時刻表に乗」ったのは87年10月。『韓国・サハリン鉄道紀行』(91年文藝春秋)に収録。
帯には「公州、扶余、慶州の史跡を訪ね看板特急「セマウル号」に乗って韓国ひとめぐり」とある。看板特急セマウル号ということばが80年代韓国を彷彿とさせる。
もちろん地図と時刻表は掲載されている。ページをめくる手が止まったのは、慶州仏国寺で元徴用工と名乗る初老の紳士が声をかけてきたシーンである。
「日本人は親切にしてくれました。きょうはご恩返しに、あなたを案内します」
戸惑う宮脇さんにその紳士は連れの家族を紹介し、食事を共にし、その日の宿の手配までしてくれ、別れ際には何かの役に立つだろうとハングルで「この日本人は私がお世話になった人です。どうか大切にしてあげてください」と書いた紙片を渡してくれた。
涙が出そうになった宮脇さんは「カムサハムニダ」と言うのがやっとだった。
あとがきには、この紳士と手紙のやりとりで再会を約していたが、ある日、娘さんから「父死去」の知らせを受け取ったとある。
「車窓はテレビより面白い」といった宮脇さん。車窓以外にもこんな出会いの絶景があったのだ。
(2019.12.13 民団新聞)