掲載日 : [2017-01-26] 照会数 : 5820
貴重な風俗や風景を在日1世が収集…『日本統治下の絵葉書でたどる済州島』
[ 韓日併合を暗示した絵葉書(1909年発行)。日本人(右)が上から目線、朝鮮人は下から見上げている ] [ 大阪・西成区の骨董店で初めて見つけた絵葉書帳 ]
約30年前から日帝時代の絵葉書を収集してきた在日1世の高成一さん(70、大阪・西成区)は昨年12月、希少価値の高い、済州島の生活や風景などを収録した冊子『日本統治下の絵葉書でたどる済州島』(全16頁)を日本絵葉書会・関西支部から発行した。済州島関連で最初に見つけたのは、同誌にも収められた「済州島西帰浦の瀑布の景」。同島出身の高さんはそのとき、「懐かしくて涙が出た」という。現在、日帝時代の多彩な分野の絵葉書をはじめ、当時の半島地図、鉄道案内、新聞など計4000点を保有する高さんを訪ねた。
使命感に突き押され…海女や市場、工場など多彩に
冊子には、海女や妓生の生き生きした様子、西帰浦の「鯨工場」と捕獲した鯨の周辺に集まる人々、市場などの様子が解説とともに紹介されている。
現在、高さんはコレクターが集う親睦団体で、研究目的と交換会で売り買いをする日本絵葉書会と同関西支部の会員。特に「済州島のものはなかなか見つからない」というのが会員間の認識だった。
これまでに高さんが収集した済州島関連の絵葉書は70点。同会に確認すると、「今まで済州島に関して発表したものがなかった」ことから冊子の発行を決めた。
高さんは20歳で来日。親戚のいる横浜から大阪に移り住んだ。当時、靴の上部分を作る甲革の仕事に就く。4人の子どもを大学に行かせたいと人一倍働いた。
40代のとき、作業で使っていたシンナーによって肺が侵され、心臓にも影響が及ぶ。医師から「この仕事を続けたら死ぬ」と宣告された。
「子どもたちのためにお金を稼がないといけない」。当時、趣味だった盆栽で生計を立てることになる。高さんは30代のとき、韓国人で第1号となる日本園芸協会の盆栽師の免許を取得していた。
その頃、骨董の本を読み始めた高さんは、日帝時代に韓半島から多くの文化財などが日本に持ち込まれたことを知った。「1品でも自分の国のものを収集しようと思った」
最初に西成区の骨董店で偶然見つけたのが、当時の風俗や風景の写った絵葉書帳だった。なかは蛇腹になっており、50枚の絵葉書が収まっている。「まさか日帝時代の絵葉書が日本にあるなんてこれっぽっちも思わなかった」。韓国にいるときに見たことはなかった。「なぜ日本で出てきたんだろう」と思ったのがきっかけで探すようになった。
絵葉書は、分野別に整理されている。「始政記念」「冠婚葬祭」「詩、画」「妓生」など15以上の項目に分けられる。
日帝時代に絵葉書が作られた目的の一つについて高さんは「朝鮮はこんなに住みやすい国だという宣伝目的があった」と指摘する。絵葉書は最初、朝鮮総督府が発行、後に個人会社である日の出商行や大正写真工芸所、個人商店でも発行したという。
これまで収集したなかで印象に残っているものは多い。植民地支配が行われた36年間、毎年、朝鮮総督府が発行した「始政記念絵葉書」(一部所有)、韓日併合条約の際に李完用大韓帝国総理大臣と寺内正毅統監が調印したときの絵葉書、日本が仁川、ソウル、平壌などに作った遊郭や3・1独立運動関連のものもある。
「36年間の資料として、歴史をまざまざ見せつけられる」。これまで日帝時代のものを必死になって探してきたのは「自分がやらなきゃという使命感」だ。
ゆくゆくは日本、ソウル、済州島での展示、そして本にまとめた後、しかるべき機関への寄贈も念頭に置く。だが今は「まだ夢半ば。部分的に探したい分野が残っている。まずはこれを完結したい」と断言した。
『日本統治下の絵葉書でたどる済州島』をご希望の方は、高さん(090・1247・5350)。1冊500円と送料負担。
(2017.1.25 民団新聞)