掲載日 : [2008-07-09] 照会数 : 5834
イルボンで出会いのエッセイ<13> 金益見
疑問を持つことから始めよう
先日、京都にある耳塚(鼻塚)を訪れた。そこへ向かうバスの中で、久しぶりに歴史の授業を受けた。テストのためではない、知るための歴史の授業だ。
耳塚は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役1592年〜1598年)時、討ち取った朝鮮・明国兵の耳や鼻を葬った塚である。
当時は戦功の証として、死体の首をとって検分したが、秀吉輩下の武将は、戦功のしるしとして首ではなく朝鮮軍の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰った。
先生のお話ではそれが首ではなく、鼻や耳だったため、更なる悲劇を生んだということだった。耳や鼻では性別や顔がわからないため、兵士だけなく、多くの女性や子どもも犠牲になったという。
私は、その話を聞いて、悲しい歴史に胸がつまったと同時に、妙な違和感を覚えた。
日本学校出身の私は、小中高校で受けた歴史の授業の中で、豊臣秀吉に悪いイメージはなかった。しかし、今回のお話では、秀吉は大虐殺を招いた人物として語られている。
私は、やった方とやられた方では、認識もとらえ方も違うのだと思った。教育では、そこを曖昧に教えることはほとんどなされておらず、どちらかの立場できっぱりと善悪を示す。
私は歴史についてきっぱりと明確な「立場」を持つことができない自分に気がついた。それをいけないことだと指摘する人もいるだろう。しかし、それは本当にいけないことなのだろうか。善悪をはっきりさせることで、耳塚のような悲劇が生まれたのではないのだろうか。迷うことが、疑問を持つことが、どちらの立場にも立たないことが、一見遠回りに見える、一番の平和への近道なのではないだろうか。
初めて訪れた耳塚は、まあるい小山だった。横に立てられた説明書きには、〞戦役が遺したこの「耳塚(鼻塚)」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として、今に伝えている〟とあった。下には、ハングルでも同じ説明があった。このふたつの言語で書かれた説明書きに、今の日本のいいところを見つけた気がした。
小山にはたくさんの緑が茂っていた。私は考えることを、迷うことをやめないでいようと思った。
(2008.7.9 民団新聞)