掲載日 : [2008-07-16] 照会数 : 6822
イルボンで出会いのエッセイ<14>
「学ばなければいけない」でなく
先日、韓国のある雑誌から原稿依頼を受けた。英語で送られてきた依頼文には、「金さんは韓国人だから韓国語で書けますよね?」と書かれてあり、私はショックを受けた。
私は韓国語ができない。日本の学校で教育を受けてきたからというのは言い訳に過ぎない。そのことを指摘されるたびに、努力していない自分が情けなくなった。
そんな時、県立広島大学准教授で、比較文化を研究されている李建志さんからお手紙をいただいた。
心のこもった文面の中に、韓国語について触れている箇所があり、私の心にとても響いたので、許可をいただいて引用したいと思う。
【僕は在日だからといって韓国のことを知っていなければならないとは思いません。韓国語も学ばなければならないとは思っていません。
在日だから韓国語ができて当然、できないのはおかしい、という「周りの評価」によって、在日はマイナスのイメージづくりがされてきましたし、悲しいことに在日の知識人はいざ自分が韓国語を学ぶと、後輩に向かって「韓国語をやらなきゃダメだ」みたいなことをいいはじめる傾向にあります。僕はこのような状況を打破するために、逆に韓国語を学び、韓国に留学に行ったのですが…。
僕達在日韓国人は、母から日本語を学びました。学校に行くずっとずっと前から。だから、僕達には〞日本語で話す権利〟があると思います。それはアメリカの黒人に英語で話す権利があるのと同じです。それが奴隷制度という許しようのない帝国主義によってもたらされたものだったとしても、アメリカで生まれた黒人は母から英語を学び、英語で考えています。
このように、母から学んだことばを否定することは、誰にも許されないのです。それがたとえ、「韓国民族主義」という「正義」を振りかざした議論だとしてもです】
私は、母国語を話せないことがコンプレックスで、日本語を話す自分にどこか罪悪感があった。 でも李さんのお手紙を読んで、そんな自分を少し許せた気がした。韓国の文化や言葉を「学ばなければいけない」ではなく「学んでみたいな」という気持ちになった。同じ気持ちが、若い世代の在日に届いたらいいなと思う。
(2008.7.16 民団新聞)