掲載日 : [2008-07-09] 照会数 : 5885
韓国「民主人士」の不思議な北韓体制認識
[ 池明観氏の特別インタビューが掲載された『世界』03年9月号の表紙 ] [ 金剛山文化会館での「6・15共同宣言記念民族統一大会」閉幕式で万歳を合唱する各地代表団 ]
韓国語版『韓国からの通信』出版を機に検証
このほど韓国で池明観著『韓国からの通信−−世界に伝えた民主化運動』(創批社)が出版された。同書は、73年5月号から88年3月号まで15年間、日本の月刊誌『世界』に「T・K生」名で連載された「韓国からの通信」の一部を当時の「東亜日報」と「朝日新聞」の関連報道と共に紹介したもの。「韓国からの通信」は、当時、韓国の独裁体制を流言飛語の類まで引用、口を極めて攻撃した。その一方で北韓の独裁体制には批判的にならぬよう気を使い、時には弁護さえしていた。その結果、日本人の韓国認識、「韓国=悪」イメージ形成に大きな影響を与えた。現在のように南北関係が微妙な時ほど北韓認識が重要だ。韓国「民主人士」の北韓体制認識をあらためて見てみると…。(編集委員・朴容正)
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「T・K生」池明観氏の場合
「擁護」から一転して批判…〞惨状〟目撃、いたたまれず
「早くなくすべき体制」
『世界』連載中は「国家テロ」を弁護
83年10月、ビルマ(現ミャンマー)の首都ラングーン(現ヤンゴン)で起きた北韓の武装工作員による全斗煥大統領暗殺未遂事件について、北韓は、当時韓国の自作自演だと宣伝していた。
この国家テロについて「T・K生」(池明観氏)は、『世界』83年12月号で次のように北韓の犯行説に疑問を表明、さらにかばった。
「彼(全斗煥)がすぐ北の仕業と決めつけ、反共キャンペーンをやり出したから、これは彼自身が企んだことではないかという疑いが起こった」「自分に批判的な連中をとりのぞき、北がこのように浸透しているのだと宣伝し恐怖雰囲気をつくろうとした、というのだ」「北がなしたことであるとしたら、それに対する責任の少なくとも一端は全政権にあるといわなければならない」「(オリンピックをはじめ多くの国際会議のソウル誘致など)狂熱的に北を刺激し、愚かにも軍人的勝利感で自ら誇り、内政における黒星つづきを覆い隠そうとした」
また、北韓の金日成・金正日父子がソウル五輪(88年9月)を妨害するために引き起こした87年11月の大韓航空機爆破事件についても、T・K生は、「民主化運動のある長老のことば」として次のように伝えた(88年2月号)。
「全一派は北がオリンピック前に何かをしでかすだろうと思っていた。真由美(注・金賢姫)がウィーンで動いていたときには、すでに彼らの計画をかぎつけて後を追っていたのではなかろうか。泳がせておいて、大事件にして北を孤立させるのに使おうとした。あるいは日本で旅券偽造のあたりから知っていて、泳がせていたかも知れない」「ここには日本の情報がからむし、ウィーンからはアメリカの情報がからむ。韓日米が協力したようにも見える」
つまり、残忍極まりない大韓航空機爆破テロも、北韓によるものではなく、韓日米の謀略だとしている。
「非難や批判」30年間全くせず
米国は、この事件を契機に翌88年1月に北韓を「テロ支援国家」に指定した。だが、北韓は、この国家テロ事件についてもラングーン爆弾事件と同様、いまだに韓国当局のデッチ上げた陰謀だと逆に韓国当局を非難している。
T・K生は75年6月号で「北を非難することは今では彼(朴正煕大統領)を助けることになる」「北に対する非難や批判をわれわれは当分の間カッコに入れておかなければない」と主張していた。
しかし、韓国以上の「長期・軍事独裁体制」で、同胞に対するテロまで強行した北韓当局に対する「非難や批判」は、結局、連載中(合計176回)の15年間、一度もなかった。
2003年7月、「T・K生」が東京に在住していた自分であったことを明らかにした池明観氏(翰林大教授)は、『世界』(03年9月号)との特別インタビューで次のように語っている。
「私が書いた『韓国からの通信』のなかには、北に対してかなり肯定的な文章が入っているのですが、それはそうすることによって北を動かしたいという気持ちがあったからです。いま考えると純真な話ですけどね」
池明観氏は、同年9月の毎日新聞への寄稿「『韓国からの通信』を執筆して」(11日夕刊)でも、「『北朝鮮に甘かったのでは』という声も聞く。しかし、当時、北朝鮮の問題は余り語らないことにしていた。そのほうが、『通信』を書き続けるためには、戦略的にも良いとの判断があったからだ」と強調。韓国大統領に始まり同胞出稼ぎ労働者へと対象を拡大しての国際テロを継続した金日成・金正日体制への「無批判」、結果としての「擁護」について弁明していた。
ところが、この「毎日紙寄稿」直後の9月15日付「東京新聞」に掲載されたインタビュー「『T・K生』のジレンマ」で池明観氏は、同年3月末にKBS(韓国放送公社)理事長として平壌を訪問した時のことを想起しながら、それまでのトーンとは一転して、「北の体制を国際的に保証することで、朝鮮半島に幸せがもたらされるとは考えられないのです」と述べ、次のように胸中を明らかにしている。
「北の体制を、限定的な形‐核施設や権力中枢への(米国の)武力行使によって壊すしかないのか。/いくら限定的な攻撃でも、犠牲は伴う。犠牲が多く出るのは、私自身、堪え難い。ただ、今の北の現状からすれば、強硬策もやむを得ない。せいぜい考えられるのは…いかに犠牲を少なくするか。いかに非人間的にならずに現実に対応できるか…こんなジレンマに陥ったのは、初めてです」
03年3月の平壌訪問後に変わる
翌04年、韓国の『月刊中央』とのインタビュー(6月号掲載)では、さらに踏み込んで「北韓は一日も早くなくすべき体制だ」と明言している。
「(03年)3月末に北韓を訪問したが、私が南側で考えていたより北韓の実情はもっと悪かった。妙香山以外は山にほとんど木がなかった。全国土が荒廃していた。飢えた子供たちを見てとても惨めだった。ほとんど絶望的状況だった。それで韓国に戻っては北韓と関連して一切言及していない。ただ日本のメディアに一文を書いたが、『重い気持ちで北韓に行ってきた』というものだった」「北韓は一日も早くなくすべき体制だ。北韓が現体制から漸進的に改善して良くなると期待することは考えられない」
前述の『世界』03年9月号掲載の特別インタビューで「いまの金正日政権と統一について話し合えるのはまだ先の話になると思います。まずは和解、協力、平和に対して対話を進めるべきだと私は思います」と語っていたのとは、明らかに異なる。
ちなみに『月刊中央』インタビュー中の「日本のメディア」とは先に紹介した「東京新聞」と思われる。同紙には「ハプニングがあって、予定外の道路を車で通ったのです。農村ですが、飢餓民があふれているのですよ。子どもは、頭ばかり大きくて、背が伸びていない。うつろな顔なのですよ。/山には木がなく、中腹まで畑です。雨が降ったら、どうなりますか。半世紀前より荒廃していました。あれを再生させるなんてことは」とも語っていた。
北韓独裁体制への言及と批判は、「韓国からの通信」連載終了から、実に15年後のことであった。
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「6・15」南側委員会の場合
統一へ「民主化」を不要視…「金日成民族」にも目つぶり
民主主義の対極最悪の独裁世襲
「T・K生」は自分であると「告白」した池明観氏は、あまりにも悲惨な北韓の現実に触れ、「非民主的」北韓体制への「沈黙」から「厳しい批判」へと転じるに至った。
ところで、かつて「韓国からの通信」を愛読し、「韓国の民主化」と「南北統一」を唱えながら北韓の民主化には無関心を決め込み、ひたすら韓国の歴代政権の「悪」のみを非難してきた在日の一グループ、「韓民統」(韓国民主回復統一促進国民会議日本本部。73年8月発足)は、この間「韓統連」(在日韓国民主統一連合)と改称した。だが、「民主統一」を新たな看板にしながら、これまで同様「北の民主化」は求めない。ばかりか、民主主義とは対極にある北韓の独裁世襲体制と全体主義を積極的に支持・擁護している。
2000年の「6・15南北共同宣言」発表以後は、日本における北韓当局の忠実な代理人である総連(朝鮮総連)と共に「6・15共同宣言実践民族共同委員会」日本地域委員会を構成し、南北統一問題に関しても北韓当局の声を積極的に代弁している。
総連は、北韓を「南北すべての人民の総意によって建設された唯一正当な主権国家、唯一の祖国」と定め、「同胞を『共和国』(北韓)のまわりに総集結させる」ことを使命としている組織だ。このため北韓の独裁体制と「統一」政策を無条件支持し、その擁護と実現のために闘うことを明らかにしてきた。
北韓当局の指示により総連議長が先頭に立ち、「わが民族=金日成民族」「金正日将軍(国防委員長)=民族の領袖」「金日成・金正日父子誕生日=民族最大の慶事」だと唱えている。この「わが民族」3点セットは「6・15共同宣言」発表後も、廃棄することなく繰り返し強調している。
「6・15共同委」北側委員会の中心をなす民族和解協議会は、昨年6月14日、「6・15共同宣言発表7周年」に際して発表した「詳報」でも「6・15共同宣言」について「金正日将軍の卓越した領導によってもたらされた」とし、①「金正日将軍様は民族の偉大な父親であり祖国統一の救星だ」②「南朝鮮では祖国統一の宝剣である(金正日将軍の)先軍政治に対する支持称賛熱風が日毎に熱く吹き巻いている」と力説している。
そもそも3点セットを神聖かつ不可侵とする「南北・民族統一」とは、「南北の金日成・金正日王朝化統一」にほかならない。
「将軍様」に同胞愛が少しでもあったならば、300万人とも言われる餓死は防げたのに、独裁体制維持を最優先する先軍政治のため見殺しにした。北韓地域での飢餓・餓死は過去のことでない。現在も進行し常態化している。
北韓の想像以上に厳しい現実を目の当たりにした池明観氏が「早くなくすべき体制」だと断じるに至ったのも当然だ。
南北同胞および在日を含む海外同胞が、熱望してやまない統一は、総連および韓統連が支持し目標としている「金正日体制=全体主義体制の南地域への拡延統一」などではない。「平和的・民主的・自主的統一」=「南北社会の発展による等質化(平和・民主・人権の価値観共有)」であり、その実現のためには、南側の民主化はもとより北側の民主化が不可欠だ。
それにしても不思議なのは「6・15共同委」の南側委員会代表団の言動だ。
北側委の主張に一言も反論なし
さる6月15日に、南、北、海外側委員会代表が参加して北韓の金剛山文化会館で開かれた「6・15共同宣言と10・4宣言を履行するための民族大会」の「共同決議文」でも、これまでと同様に「自主統一」のみが強調され、「民主統一」への言及はなかった。
「南の独裁体制」を厳しく批判し「民主化」のために闘争してきた「民主人士」が大半を占めるという南側委員会代表団の口からも「民主統一」への言及がまったくないのはなぜか。
ちなみに、北側代表や日本地域委議長らは機会があるたびに「南の民主化闘争」を称賛し、「南の民主化闘争の継続・強化」を主張している。だが今日「民主化」が緊要なのは、誰が見ても北韓である。しかるに、南側代表らが「北の民主化も必要だ」と反論したという発表はもとより報道もない。
「北の民主化」への言及がないのは、北韓独裁体制を「聖域」視して「南北統一推進には北の民主化は不必要だ」と主張する北側委員会に同調しているためだと見なされてもやむをえないだろう。 北側がかねてから唱えている、3点セットによる前近代的・非民主的「民族・統一」論にもなんら異議を唱えず、沈黙しているのも奇怪だ。
「6・15共同委」は「わが民族」を最大のキーワードとしている「6・15共同宣言」を実践するための民間統一運動団体だという。その南側委員会が、肝心の「わが民族」に関する3点セット主張について知らぬはずがない。
今回の「民族大会共同決議文」の発表に先だって、北側がそのような「民族・統一」論を撤回したとの発表も報道もない。これまでと同様、南側委員会が、北側の「民族・統一」論に目をつぶり、もしくは同調し受容したと見なすほかない。最大のキーワードを含め字句・文言に対する見解の一致(共通認識)があってこそ、内外の全同胞に対する共同での「決議文」発表や重要な「呼びかけ」が可能なはずだからだ。
総連への「支持・声援」を強調
しかも、昨年6月に平壌で開かれた「6・15共同宣言発表7周年記念民族統一大祝典」では、南側委員会代表団も「総連に対する支持と声援を民族統一運動の重要課題のひとつとして強調した」(07年6月27日付「朝鮮新報」)という。
北韓当局の忠実な代理人として「偉大な将軍様への無限の忠誠」を誓い、「6・25朝鮮戦争=米帝の侵略戦争」、「韓国=米帝強占(占領)下の植民地」との虚偽・謀略宣伝をいまだに続ける総連への支持・声援が、どうして「民族統一運動の重要課題」になるのか。やはり、南側委員会が北側の「民族・統一」論に同調しているのでなければ、考えられないことだ。
南北の統一問題に強い関心を持つ在日同胞は、このような基本的かつ根本的な問題について、韓国内民間統一運動団体の結集体とされる南側委員会から説明があるものと思っていた。だが、これまでなんの説明もない。 かつて「韓国からの通信」は、意図的に「非民主的な北韓体制」への言及を避けることにより、その存続を支持し、北韓の独裁者を喜ばせた。のみならず日本人の歪んだ韓国・北韓イメージ形成に大きな影響を与えた。 南北統一問題でも、そのような過ちを繰り返さぬよう、南側委員会の速やかな説明が求められている。
(2008.7.9 民団新聞)