激動の時代を生き抜いた父母に捧げる
日本でも5月封切
激動の時代を家族のために生き抜いた、ひとりの男の生涯を描いたユン・ジェギュン監督の映画「国際市場で逢いましょう」(配給=CJ Entertainment Japan、原題「国際市場」)が5月16日から、東京のヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほかで順次全国公開される。昨年末に韓国で封切られ、今、韓国を代表する「国民的名作」として大きな感動を呼んでいる。この作品はユン監督の亡き父に対する思いから制作された。(インタビュー構成)
「歴史」伝え続けたい
在日同胞をテーマに新作も
父は家族や子どものために一生懸命仕事をし、平凡なサラリーマンとして亡くなりました。私が大学2年のときです。父が本当に一生懸命働いていることを知りながら「ありがとう」という言葉を伝えることが出来ませんでした。それは自分の中で一生の「恨(悔い)」として残っています。
自分の子どもが生まれて父親となったとき、その恨がいっそう募り、感謝の気持ちを伝えるためにこの映画を作ろうと思いました。平凡な父親の最も偉大な物語としてです。
韓国の現代史を語るとき6・25韓国戦争は欠かせません。この映画も韓国戦争の場面から始まります。ドラマとして離散家族問題は外せないなと思いました。
1983年から始まったKBS(韓国放送公社)による「離散家族を捜します」という生放送番組は、138日間にわたって国民を涙させました。実際に10万人が申請し、1万189人が肉親と再会を果たしました。
俳優たちは普段、撮影に取りかかる前にお互いにあいさつをします。けれども主人公役のファン・ジョンミンさんは妹と再会する場面の撮影前には、あえて「私はあいさつはしない」と言いました。撮影に入って妹役である女優に初めて会ったのです。それぐらいに神経をとがらせて、場面に臨みました。
私はこの映画を通して、戦争体験のない若い世代に父母や祖父母世代の人たちが、どう生きてきたかを知らせたいと思っています。実は、この映画について大学生数人と話す機会がありました。学生たちは「とても感動しました」と言いました。
「どういうところが」と聞くと、学生たちは「こういうフィクションをあたかも本当にあったかのように描き出したことだ」と言うんです。それは私にとって衝撃でした。
「君たちはフィクションだと思っているだろうけど、これは実際にあったことなんだよ」と言ったら、今度は学生たちが新たな衝撃を受けたようでした。
だからこそ若い人たちには「こういう体験を重ねてきた父母や祖父母なんだから、その人たちをないがしろにしたり、軽んじてはいけない」ということを強く言いたいと思います。
そういう意味でも観賞して下さった朴槿恵大統領が「この映画で、今や国民の誰もがこれはノンフィクションなんだと知ることになった。本当に大きな役割を果たしてくれた」と称賛して下さったのが嬉しいですね。
これは私個人の意見ですが、在日同胞の方たちの中には、この日本に適応して、いい暮らしをされている方もいれば、ずっと辛い思いをされている方もいると思います。
韓国という国がかつては貧しくて大変な思いをしたがゆえに韓国という家族から、他の国の養子に出してしまったというように考えられるのではないかと思います。
でも、韓国にいる国民も政府もそうですが、口に出してたびたび言うことがなくても皆さんに対して申し訳なさを感じ、責任も感じています。
これから先、韓国はより豊かになり「また一緒に暮らしましょう」と手を差し伸べるということが、いちばんいいだろうし、あるいは養子に行った先で幸せに暮らして下されば、私たちも幸せを感じて拍手を送ると思います。
韓国の多くの国民は在日同胞に対して無関心ではないし、忘れていないし応援しているということを分かってほしいと思います。在日を題材にした作品が作れないか考えているところです。
《ストーリー》 6・25韓国戦争時の興南撤収作戦による混乱の中、父、そして妹と生き別れ母と2人の弟妹と共に避難民として釜山で育ったドクス。成長したドクスは父親の代わりに家計を支えるため、西ドイツの炭坑への出稼ぎや、ベトナム戦争で民間技術者として働くなど幾度となく生死の瀬戸際に立たされる。しかし、家族のためにいつも笑顔で必死に激動の時代を生きぬいた。最後に交わした父との約束のために‐。
(2015.3.25 民団新聞)