掲載日 : [2022-11-09] 照会数 : 1944
「木浦の母」生誕110年 田内千鶴子さ ん 出身地で記念式典
【高知】日本の植民地統治下およびその後の混乱期の木浦市で30年間に孤児3000人を育て〝木浦の母〟と慕われた田内千鶴子(韓国名・尹鶴子)さんの生誕110年にあたる10月31日、出身地の高知市若松町で記念のセレモニーが行われた。この日は田内さんの命日でもあった。
セレモニーには民団高知本部から鄭夢周直轄団長(民団中央本部副団長)が出席し、日韓親善協会中央会の河村建夫会長、訪日した韓国国会議員らとともに「生誕之地」記念碑に献花し、手を合わせた。
韓国の尹柱卿議員は「田内さんの愛の精神は私たちの心の中で生き続けていく。そうすれば韓日の心の距離も縮まる」と訴えた。
田内さんの長男で、社会福祉法人「こころの家族」を運営する尹基さんは「海の向こうに高知が見える」と故郷を恋しがっていたという母の姿を偲んだ。
田内さんは7歳時、父親の勤めていた木浦市に移り住んだ。地元の学校を卒業して音楽教師をしていた田内さんは孤児施設「木浦共生園」を運営する尹致浩さんと1938年に結婚。夫が韓国戦争の混乱のさなか、食糧の調達に出たまま行方不明になった後も苦しい生計や反日感情の中、施設を守った。68年に56歳で死去。葬儀には3万人の木浦市民が哀悼の意を捧げた。63年に外国人女性としては初めて「大韓民国文化勲章国民章」を授与された。
式典前には韓国ソウルの繁華街で10月29日に起きた雑踏事故を追悼し、全員で黙とうした。