掲載日 : [2011-01-01] 照会数 : 9944
<検証>南北基本合意書・非核化共同宣言 調印から20年
[ 北韓の無差別砲撃で燃え上がる延坪島の民間居住地。軍人・民間人4人が犠牲になった
] [ 先軍政治のもとでは軍関係が最優先され、洪水予防のための河川の改修工事も、地方ではすべて重機なしの手作業だ。背後に禿山が見える
] [ 再結合・自由往来合意から20年になるが、離散家族は、いまだに1回限りの対面しか認められていない
]
共生・統一の〞土台〟再生・履行は不可欠
分断克服・平和統一に向けて南北関係の安定的制度化の大枠を定め、軍事的緊張緩和と相互信頼構築を目指す画期的な「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」(南北基本合意書。1991年12月13日)および「韓半島非核化共同宣言」(同12月31日)が南北双方によって調印・発表されて今年で20年を迎える。いずれも翌92年2月には正式に発効した。7000万内外同胞と世界に誓ったこの約束を、韓国側に呼応して北韓側が誠実に順守・実行していたならば、北韓の核兵器・長距離ミサイルの開発・実験も、西海での韓国哨戒艦撃沈事件や延坪島無差別砲撃もなく、南北関係および韓半島周辺情勢はまったく違っていたであろう。韓半島緊張激化の責任は、すべて北韓側にある。
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和解と不可侵
南北主導の平和「約束」 離散家族再結合・自由往来も
「南北和解」「南北不可侵」「南北協力・交流」の3分野からなる「基本合意書」は、90年9月から開始された分断後初の南北総理会談で協議され、91年12月の第5回会談で署名された。
双方が相手側の体制を認め、経済協力から軍事的緊張緩和と軍縮に至るまで、包括的な共存の枠組みを定め、離散家族の再会・再結合はもとより、住民の自由な往来と接触、鉄道・道路の再連結などをうたっている。
「南北和解」では「現在の休戦状態を南北間の堅固な平和状態に転換させるために共同で努力し、そのような平和状態が実現するまで、現軍事休戦協定を順守する」と明記。休戦状態から平和状態への転換を南北が主導的に実現することを約束している。
「南北不可侵」では「意見対立と紛争問題を対話と協議を通じて平和的に解決する」と規定、「南と北の不可侵境界線と区域は、53年7月27日付の軍事休戦に関する協定に規定された軍事分界線と、これまで双方が管轄してきた区域とする」と明確に規定している。
さらに「不可侵の履行と保障のために南北軍事共同委員会を構成・運営」し、「軍事共同委員会では、大規模な部隊移動と軍事演習の通報および統制問題、非武装地帯の平和的な利用問題、軍の人士の交流および情報交換問題、大量殺傷武器と攻撃能力の除去をはじめとした段階的な軍縮実現問題、検証問題など、軍事的な信頼醸成と軍縮を実現するための問題を協議・推進」するとしている。
92年2月の第6回南北総理会談で正式に発効した。それに基づき、和解に関する合意を履行するために「政治分科委員会」、不可侵に関する合意の履行と軍事的対決状態を解消するために「軍事分科委員会」、交流と協力に関する合意の履行のために「交流・協力分科委員会」が発足し、重要問題での意見調整は新たに構成される「和解」「軍事」「経済協力・交流」「社会・文化協力・交流」の4つの共同委員会に委ねられた。
同年9月の第8回南北総理会談では、各共同委員会の付属合意書が発効した。「基本合意書の『第1章南北和解』の履行と順守のための付属合意書」は「南と北は『基本合意書』と『韓半島非核化共同宣言』を誠実に履行、順守する」と明示している。
これにより、南北は経済協力はもとより軍事・軍縮問題までも含め、関係改善作業を具体的に進め平和共存・共栄段階に入るかにみえた。
だが、早くも同年11月に北韓側が以後の南北総理会談開催を拒否、各分野共同委員会および各分科委員会にも応じず、一方的に中断させ、「基本合意書」を棚上げ、無視することで形骸化させた。
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合意違反の砲撃
〞境界線〟の役果たす 北側は異議を提起せず
「南北基本合意書」中の「南北不可侵」の履行を順守するための付属合意書(92年9月)は、「南と北の海上不可侵境界線を今後継続協議する。海上不可侵区域は海上不可侵境界線が確定する時まで、双方がこれまで管轄してきた区域とする」と規定している。
これは、双方の合意で確定する時までは、現存の「北方限界線」(NLL)を実質的な海上不可侵境界線とすることを、再確認したものだ。
53年7月に締結された韓国戦争休戦協定では南北間陸上境界線だけが規定され、白 島、延坪島など西海5島については国連軍側管轄下(韓国領)にあることを確認したものの、5島水域の管轄権範囲をめぐる意見対立がとけず結局海上境界線は設定されなかった。
このため、同年8月30日に駐韓国連軍司令官が、西海5島を含む西海海上での南北の衝突防止へ韓国軍艦艇・航空機などの活動限界線としてNLLを設定し、北韓に通報した。これに対し北韓は、異議を提起しなかった。59年11月発行の北韓の「朝鮮中央年鑑」は、黄海南道の地図にNLLをそのまま明示している。NLLは事実上の海上境界線の役割を果たしてきた。
NLLについて、北韓が初めて異議を唱えたのは73年12月の「西海5島周辺水域領海宣言」だった。「NLL無効」を宣言、北韓黄海南道と韓国京畿道の境界を延長した線を海上境界線とすることを主張した。
しかし、その後も、北韓が84年9月末から10月初に行った韓国水害救援物資の海上輸送時の南北船舶間接触点はNLL線上であった。93年に国際民間航空機関(ICAO)が南北飛行情報区域(FIR)をNLLにあわせて設定した時にも異議を提起しなかった。
2002年には航路を誤ってNLLを越えた北韓船舶を、韓国海軍がNLL線上で引き渡している。
一方で、北韓警備艇のNLL南下による南北交戦は、97年6月の警備艇間の砲撃事件、99年6月の「第1次延坪島海戦」と02年6月の「第2次延坪島海戦」が代表的なもの。09年11月にも大青島海戦があった。
北韓は「第1次延坪島海戦」後の99年9月にNLLの南方に「南北西海軍事境界線」を一方的に設定、その北側を「領海」と宣言した。さらに00年3月には「西海5島通行秩序」を宣布、白 島など3島(第1水路)、延坪島など2島(第2水路)の指定水路のみの往来を認めると主張している。
こうした一方的な「領海」宣言は、「基本合意書」に反しており、韓国側が認めないのは当然であった。韓国は、「第1次延坪島海戦」後に「基本合意書」の履行をあらためて促し、「『基本合意書』に基づき南北共同軍事委員会を開けばNLL問題を協議できる」と明らかにしてきた。
だが、北韓側は、こうした提案を拒否し、09年1月には「南北間の政治・軍事的対決状態の解消と関連したすべての合意の無効化」、「南北基本合意書とその付属合意書にある西海海上軍事境界線関連の諸条項の破棄」などを一方的に発表。
昨年は、西海での韓国哨戒艇「天安」撃沈(3月)後の5月に「南北不可侵合意」の破棄を発表。のみならず11月には、韓国側の通常射撃訓練に対し「領海侵犯への懲罰」だとして、延坪島の民間居住地区を砲撃した。
民間人に対する攻撃は国際法上禁止された重大犯罪だ。約1400人が住む延坪島への砲撃は、休戦協定と国連憲章はもちろん南北の不可侵合意に全面的に違反すると同時に、平時に非武装民間人を非交戦地域で故意の攻撃により殺傷したという点で、「人道に反する犯罪」であった。
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八つの「しない」
実験・製造・保有・配備… 再処理・ウラン濃縮施設も禁ず
「南北基本合意書」調印に続いて、91年末に仮調印され92年1月21日に双方の総理が調印した「韓半島非核化共同宣言」には①南北は核兵器の実験・製造・生産・搬入・保有・貯蔵・配備・使用をしない②核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない③検証は相手側が選定し双方が同意する対象に対し、南北核統制委員会が規定する手続きと方法で査察を実施する④共同宣言発効後1カ月以内に南北核統制共同委員会を構成・運用すると明記されている。
「非核化共同宣言」は、91年10月の第4回総理会談で「非核地帯化宣言」として北韓側から提案された。
韓国は「南からの米国の核兵器の全面的かつ完全な撤去が確認されたなら南北の核同時査察に応じる」との北韓側の主張と、「世界各地に配備された戦術核の撤収」という米国の政策転換にあわせて、盧泰愚大統領が同年11月8日に「韓半島の非核化と平和構築のための宣言」を発表、「核兵器の生産・保有・使用はもちろん、再処理施設とウラン濃縮施設も持たない」と明言し、北韓に同調するよう求めた。
さらに盧大統領は、12月18日には米国側の了承を得て「この時刻、わが国のどこにも、いかなる核兵器も一つとして存在しない」と「核不在宣言」を発表した。
この「核不在宣言」は駐韓米軍の核兵器の完全撤去が完了したことを公式に確認したもので、北韓はこれを了承した。その結果、核問題を話し合う南北実務代表会談が開かれ、双方総理による「非核化共同宣言」の調印となった。
「非核化共同宣言」発効(92年2月)に伴い核統制共同委員会が構成されたが、南北相互査察の具体的手続きをめぐり難航、総理会談が92年9月の第8回以後中断するとともに、同年末には北韓側が協議を打ち切ってしまった。
以後、北韓は、核不拡散条約(NPT)からの脱退(93年6月)と国際原子力機関(IAEA)からの脱退(94年6月)を表明。94年10月の「米朝枠組み合意」にも反して核開発を継続、さらに高濃縮ウランによる核開発計画が発覚すると、逆に「もはや枠組み合意は無効だ」と居直り(02年10月)、再度のNPT脱退表明(03年1月)とともに「非核化共同宣言」の白紙化を表明した(同年5月)。
05年2月には「自衛のために核兵器をつくった」と「核保有」を宣言した。さらに06年10月に「核実験」を実施し、09年5月には2回目の「核実験」を強行。昨年11月には米国の科学者にウラン濃縮施設を公開した。
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金父子の二枚舌
保有宣言と実験強行 意思・能力・必要ないから一転
北韓による「非核化共同宣言」の反古化と2回にわたる核実験強行は、「核を開発する意思も能力もない」とし、「非核化共同宣言」の実行に全力を尽くすとの金日成主席の言明がまったくのウソであったことを証明した。同時に、「朝鮮半島の非核化は金日成主席の遺訓である。朝鮮半島非核化の目標を実現しようというわが方の努力には変わりはない」という金正日国防委員長の発言(09年10月、温家宝中国首相との会談)が「まやかし」であることを示している。
北韓の核開発は金日成が68年11月に行った「秘密教示」からスタートした。だが金日成はこれまで平壤を訪問した外国の代表団や記者たちに「作る意思も能力もない」とことあるごとに強調してきた。
「(76年3月の会談時に)金日成主席が、『われわれには核武装をする考えはありません』と述べただけでなく、核兵器が戦争に対する抑止力となりうると考えるかという私の質問に対しても全面的に否定し、従って核の傘を求めないという態度を明確にした。私は一人の日本人として、この金主席の発言に敬意を抱きました」(安江良介・元岩波書店社長「孤立する日本」影書房)。
金日成は91年12月、スチーブン・ソラーズ米下院議員に「我々は核兵器を保有する意思など毛頭ない。核の再処理施設を持っていない」と宣言した。
また94年4月、内外記者団との会見でも「核を持つことにどんな意味があるのか。将来にわたって、われわれが核兵器を持つことは決してない」と強調している。
同年6月のカーター米元大統領との会談では、「核兵器を作る能力も必要もないと何度も宣言しているのに、信用してもらえない」と「不満」を表明している。
金日成は同年7月に急死したが、同年10月に発表された「米朝枠組み合意」で、米国は北韓に対して核兵器による威嚇または使用をしないことを公式に保障し、北韓は「非核化共同宣言」履行のための措置を講じることを約束した。
米国は、91年の「非核化共同宣言」発表以前に、韓半島の非核化のために韓国から核兵器をすべて撤収している。この段階で、北韓には核開発を続行する〞理由〟はなくなった。それにもかかわらず、北韓は秘密裏に進めてきた核開発をやめなかった。
北韓は「非核化共同宣言」および「米朝枠組み合意」に違反して05年2月に「核兵器をつくった」と宣言している。それにもかかわらず、金正日委員長は同年6月、平壤を訪問した鄭東泳統一部長官に「非核化共同宣言は有効であり、これは金日成主席の遺訓だ」と平然と言ってのけている。
同年9月の6者会談の「共同声明」では、北韓は再び「すべての核兵器および既存の核計画の放棄」を約束し、「非核化共同宣言」の順守・実行を表明した。
ところが、1年後の06年10月には「核実験」を実施。さらに09年5月には2回目の核実験を強行するなど、北韓は、いとも簡単に「南北間の誓い」および「6者会談共同声明」を破り捨て、恥じるところがない。
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白い米と肉の汁
〞空約〟のまま50年 300万餓死、天災でなく人災
北韓は08年年頭の共同社説で、金日成の生誕100周年で金正日委員長が70歳になる12年までに「経済と人民生活を高い水準に引き上げることにより強盛大国の大門を開くというのがわが党の決心だ」と強調した。以来、軍事や思想、政治の分野ではすでに「大国」になっているので、「残るは経済だけだ」と主張している。
09年3月30日付「労働新聞」論評「将軍様に従い朝鮮は進む」は、金委員長が自らの誕生日である2月16日に幹部たちに対して、「首領様(金日成)は、いつもわが人民が白いコメの飯を食べ、肉の汁を飲み、絹の服を着て、瓦葺きの家に住むようにしなければならないとおっしゃったが、我々はまだ首領様の遺訓を貫徹できずにいる」とし、「私は最短期間内に人民生活の問題を解決し、我々の人民を他人がうらやましくないような良い暮らしができるようにする首領様の遺訓を必ず貫徹する。12年に必ず強盛大国の表札を掲げなければならない」と述べたと紹介した。
「労働新聞」は翌10年2月にも、政論「我々の勝利を固く信じる」などで、この金委員長の言葉をあらためて伝え、団結をよびかけている。
金日成は62年1月の新年辞以来、「コメの飯を食べ肉の汁を飲み、絹の服を着て瓦屋根の家に住む」国にすると繰り返し約束してきた。
30年後の92年の新年辞でも「すべての人が白いコメの飯を食べ、肉の汁を飲むという人民の願望を実現することは社会主義建設の重要な目標だ」と強調している。
折しも90年9月から92年9月まで続いた南北総理会談で青瓦台を訪問した北韓の延亨黙総理に、盧泰愚大統領は「食糧不足に陥っている北側に備蓄米を無償で提供する用意がある」と北韓の食糧事情を憂慮して表明した。だが延総理は「我々はコメがあふれて倉庫の手配に難渋している。この上、コメをいただいても保管のしようがない」と申し出を断っている。
北韓の最高責任者は、この南北総理会談で達成した画期的な二つの合意、「南北基本合意書」と「非核化共同宣言」に、背を向け、食糧問題をはじめとする人民の生活救済に不可欠な経済の再建を後回しにして、核兵器および長距離ミサイル開発を継続・強行した。
世界の最貧国で、人口2400万人の北韓が120万もの軍隊を抱え、GNPの30%に迫るという過重な軍事費のもとに核およびミサイル開発を最優先すればどうなるかは自明だった。
経済破綻の中での自然災害が加わり深刻な食糧不足により、90年代後半には300万にものぼる北韓同胞が餓死するという前代未聞の惨事を招いた。
「敵どもは、人工衛星の打ち上げだけでも数億ドルは優にかかっただろうと言っているが、それは事実だ。私は人民がろくに食べることができず、豊かに暮らせないことを知りつつも国と民族の尊厳と運命を守り、明日の富強な祖国のために資金をその部門に回すことを許可した」(金正日。99年4月22日付「労働新聞」)。
金委員長は、00年8月、韓国の報道各社社長団との懇談で、98年8月のテポドン1号の発射に「2、3億㌦かかった」と認めている。3億㌦あれば、当時、北韓の1年間の食糧不足分、約100万㌧の食糧購入が可能だった。大規模な飢餓と餓死は天災ではなく人災であった。
その後も毎年100万㌧以上もの食糧不足が続き、住民の最低限の「食の問題」が、いまだに解決されていない。「先軍政治」の名の下に、同胞が飢えに苦しみ餓死者が絶えないことを承知の上で、核およびミサイル開発を継続最優先してきたためだ。
ちなみに韓国政府筋は、「これまで北韓は長距離ミサイルに転用可能なロケットの開発に5億㌦から6億㌦、核兵器の開発に8億㌦から9億㌦を投入した」と推定している(10年12月4日付「朝鮮日報」)。
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平和制度化への道
「先民」への転換急務
北韓 経済・民族共同体形成へ
破綻した経済再建のために
約50年も前の金日成新年辞「食衣住約束」が、いまだに果たされていないことは、すなわち、北韓では、住民に衣食住が満足に与えられたことなど、一度としてなかったということを示している。
北韓が、本当に「人民生活の向上」を願い経済再建を重視し、「金日成の遺訓」とする「白米のご飯、肉の汁、絹の服、瓦葺きの家」を早期に実現する決意ならば、軍事最優先・南北対決の「先軍政治」の旗を降ろし、民生・民族重視の「先民政治」へと果敢に政策を転換しなければならない。
北韓経済で最大の割合を占める軍事費の削減と、外部からの大規模かつ持続的な経済協力がなければ、破綻した経済の再建は望むべくもない。「先軍政治」のもとでの核兵器開発固執と南北緊張政策が、経済再建の最大の障害となっている。
何よりも急を要する南北間の緊張緩和・平和体制構築と経済の再建へ、北韓が「基本合意書」と「非核化共同宣言」に速やかに「復帰」し、この二つの合意を実行することが望まれている。
金日成は、92年2月、平壌での第6回南北総理会談を終えた双方の代表団を前に、太い声で声明書を読み上げ、「今回発効した合意文書は北と南の責任ある当局が民族の前に誓った誓約だ。共和国政府はこの歴史的な合意文書を祖国の自主的平和統一の道で達成した高貴な結実と考え、その履行にあらゆる努力を尽くす」と明言した(林東源「南北首脳会談への道 林東源回顧録」岩波書店)。
同年9月に署名された「基本合意書の『第1章南北和解』の履行と順守のための付属合意書」でも「南と北は『基本合意書』と『韓半島非核化共同宣言』を誠実に履行、順守する」と確認している。
「6・15宣言」に欠けるもの
00年6月の第1回南北首脳会談の時、金大中大統領は、「基本合意書」について「実行だけが残されている」と指摘、分野別共同委員会の再稼働の必要性を強調した。だが、金委員長は、「基本合意書」の実行に応じず、「非核化宣言」の履行も拒んだ。そのため発表された「6・15南北共同宣言」には南北主導による平和体制確立および非核化への言及はなかった。
金大統領は退任後も「基本合意書には南北が扱うべき重要な問題が網羅されている。重要な章典だ。実践されなければならない」と強調している(『月刊朝鮮』98年10月号インタビュー)。
北韓側が、「二つの合意文書」を反古にすることなく、「永遠の主席」の「誓い」どおりに、この20年間、誠実に順守・履行していたならば、300万にものぼる同胞が餓死することはなかった。
また、数十万とされる脱北者と新たな離散家族問題も生じなかっただろう。さらに、2度にわたる「核危機」もなく、昨年46人が犠牲となった西海での天安艦撃沈や延坪島無差別砲撃事件もなかっただろう。
韓半島での戦火再発を防止し、現在の休戦体制を恒久的な平和体制に転換するためにも、その道筋を示した「基本合意書」と「非核化共同宣言」の再活性化が不可欠だ。
南北首脳会談で「基本合意書」の実行を金国防委員長に促した金大中大統領は翌01年6月、韓国戦争51周年に際しての演説で「韓半島での休戦状態を終息させるために南北間で平和協定が締結されなければならない」と呼びかけ、「平和協定はあくまでも南北当事者が主導しなければならない。南北双方をはじめ、主要参戦国である米国と中国が支持し実践に協力しなければならず、国連の賛成も必要である」と強調している。
順守拒否した金正日委員長
北韓側が「基本合意書」と「非核化共同宣言」の実行に誠実に応じ、相互信頼関係の構築に力を注いできたならば、非核化・平和の制度化と共生・共存の経済協力を通じた南北経済共同体の実現にむけ南北関係は大きく進展したはずだ。
北韓当局は、「6・15」以後、特に「わが民族同士」を強調している。真に韓半島の平和・安全と同胞の生活向上を願い、「わが民族同士の誓い」をなによりも大事にするのであれば、その大きな成果である「基本合意書」と「非核化共同宣言」を順守し、核・ミサイル開発を即刻止めねばならない。南北間合意の尊重および同胞愛を欠いた「わが民族同士」の強調は、政治プロパガンダでしかない。
北韓は「南北間の武力紛争と先鋭な情勢を打開する唯一の出口は6・15と10・4南北首脳宣言(07年10月)の無条件履行だ」と相変わらず主張している。だが金大中大統領の右腕だった林東源・元統一部長官は「6・15と10・4は南北基本合意書を土台としている」と強調している(09年12月「南北基本合意書採択18周年記念国際学術会議」)。
土台である「基本合意書」と「非核化共同宣言」の順守・実行があってこその「6・15」であり「10・4」である。
李明博政府は、08年2月の発足当初から「基本合意書」と「非核化共同宣言」に基づき、北韓核問題の解決にあわせて平和協定の締結などを通じた南北間の軍事的緊張緩和と信頼構築推進、恒久的平和定着をめざすことを明らかにしてきた。のみならず、韓半島の非核化・緊張緩和・平和制度化と共生・共栄の経済協力拡大を通じた南北経済共同体の実現を北韓側に呼びかけている。
3段階統一論推進の大前提
昨年の8・15慶祝辞で李大統領が提示した「3段階(平和・経済・民族)共同体構想」も、「南北基本合意書」と「非核化共同宣言」を踏まえたものだった。
李大統領は「南北は互いに尊重しながら経済協力すべきで、究極的に北韓が経済的に自立してこそ、南北統一の基盤が築かれる。北韓が核を放棄する考えを明確に示せば、南北間の経済協力は積極的に進められる」(10年12月)と繰り返し表明している。
北韓が「強盛大国の大門を開く」という12年まであと1年しか残されていない。「金主席の遺訓」とする「韓半島の非核化」と「食衣住問題の解決」は、いずれも「基本合意書」と「非核化共同宣言」の誠実な順守・実行によってこそ実現可能だ。
「わが民族同士」の合意文書の順守・実行は金日成の「誓約」でもある。北韓最高当局者は、今度こそ、この現実を直視し、韓半島の平和確保と「非核」南北の共存・共栄、「人民の生活向上」へ決断すべきである。
(2011.1.1 民団新聞)