「死んだらすべてが終わる。永遠に生きることはできない。財産を子どもに譲る必要はなく、社会に還元するのがいい」。金泳三元大統領はこう語りながら、大統領経験者としては初めて、自宅を含む総額50億ウォン(約3億7千万円)の全財産を社会貢献のために寄付する意向を表明した。
この言葉に、韓国の、特に高位層の人々には見つけにくい死生観を見た思いがする。
金元大統領とは1970年代の前半、羽田空港で立ち話ながらインタビューする機会があった。重厚な濃紺のカシミアコートに朝鮮白磁を思わせる乳白色のマフラー、そしてエナメルの靴というダンディーないでたちに、これが苦闘する野党の指導者なのか、まるで御曹司ではないかと驚いた記憶がある。
32年ぶりの文民大統領としての治績も、経済無策によってIMF金融危機事態を招いた、という印象だけが残りやすい。だが、公職者の財産公開制や金融実名制の導入、公営企業の民営化と統廃合の推進など不正腐敗の根絶に大ナタを振るい、「韓国病」を治癒して世界化に対応する体質強化を図ったことも想起すべきだろう。
初代ミスコリアでロビーストの姜貴熙さんは、フランスから高速鉄道(KTX)を導入する際、時の大統領に政治資金約400億ウォンを渡す準備をしていた。しかし、金泳三大統領はこれを拒否、その分の価格引下げを要求した。その結果、借款利率の引き下げ、技術移転の拡大へとつながった(「月刊朝鮮」昨年12月号)。
清廉潔白な政治家だったんだなあ。あのダンディーぶりも身奇麗さと毅然さの現われだったと今は思える。(D)
(2011.1.12 民団新聞)