本紙読者の皆様におかれましては、明るい新年をお迎えのことと存じます。
昨年の祖国・韓国は、世界第7位の貿易大国実現、1人当たり国内総生産2万㌦台復活、G20首脳会議の成功など経済面で大きく躍進しただけでなく、冬季五輪、サッカーW杯、アジア大会などスポーツ面でも華々しい活躍を見せました。しかし北韓は、3代世襲を公然化させたほか、天安艦撃沈事件に続いて延坪島への無差別砲撃など武力挑発をほしいままにし、韓半島と東アジアの緊張をあおりました。
皆様には喜びと心労が交錯する1年だったのではないでしょうか。平和を確保し、民主的な祖国統一を成し遂げるためには、ここ数年が正念場かも知れません。しっかりした心構えで新年に臨みたいと思います。
さて、今回も「私の念賀状」に多くの応募をいただきました。紙面の都合で掲載がかなわなかった方々にはご容赦のほどお願いします。
本紙は昨年も、多くの読者から1口3000円の「郵送協力金」をいただきました。この場をかりてあつく御礼申し上げます。
読者皆様にとって今年が健やかで充実した1年となることを祈念します。
民団新聞社 社員一同
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「くたびれていても王子様」へ 40の大台を目前にして、仕事一筋で生きていこうと覚悟を決めていた娘の前に、あなたは突如現れました。溌剌さに少々欠けてはいても、我が家にとってはまぎれもない王子様です。
同じ在日3世で、母国修学経験も同じ、そして初婚同士。まさしく縁ですね。娘に言わせれば、「容姿はいまひとつ自分の《趣味》には合わない」ようですが、「何より話が合う」のだそうです。
「美しくありたい」「仕事でも成功したい」と願い、所帯染みることを嫌ってきた娘ですが、見かけよりはしっかりしています。人生の残り半分ほど、しっかり手を握り合って歩んでくださいね。
親離れしない娘の母(61) 千葉県
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つかこうへい 貴下 「いつか公平へ」の挑戦者でした。
在日韓国人として福岡県に生まれ、戯曲「熱海殺人事件」で岸田戯曲賞、小説「鎌田行進曲」で直木賞を受賞し、つか旋風を巻き起こしました。
昨年夏、62歳で故人となりましたが、あなたの遺志は未来志向の、創造性豊かな時代と人間関係を導くでしょう。
よく生きるために、自分に後悔しないために、理想や夢を決して捨ててはならないことを教えてくれました。
いつか公平になることを信じて。ご冥福をお祈りします。
高権錫(78) 東京都
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石屋だった曾おじいさんへ 私が韓国留学を決めた頃、祖母から「石屋をしていた曾おじいさんは、韓国の仁川で仕事をしていた」と聞きました。留学中は毎日必死で、思い出す余裕はありませんでしたが、帰国後はしばしば「曾おじいさんは韓国をどう思っていたんだろう」と考えました。
答えらしきものは身近なところにありました。曾おじいさんが作ったうちのお墓。韓国でよく見かける亀の上に石碑が立っているスタイルです。子供の頃から「どうしてお墓に亀が?」と思っていましたが、なぞが解けました。一度もお会いしたことのない曾おじいさんにもし会えるなら、韓国話に花を咲かせたいものです。
中村マリコ(26) 福岡県
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オモニのあの言葉 韓国から嫁いで30年余。日本に発つ前に聞かされた「3年は戻ってくるな」の言葉がしきりに思い出されます。
なれない異国での生活は、無性にさびしさを覚えたものでした。それを支えてくれたのがオモニの戒めでした。
アボジが亡くなったとき、ちょうど二人目の子どもを身ごもっていました。私の身体を気遣い、アボジの死を知らせてくれたのは3カ月後でしたね。
その子も嫁ぐ日が近づいています。門出には愛情をこめて、同じ言葉を送ろうと思います。
李仁淑(56)岐阜県
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アボジの故郷愛に 今は亡きアボジの故郷、済州道を初めて訪れたのは20代でした。電気も水道もありませんでしたが、人々の明るい笑顔、星降る夜空の美しさは今も忘れません。
親戚の案内で国民学校に行き、国旗掲揚台を見ると、アボジの名前がありました。初めて知って驚き、ささやかでも精一杯の郷土愛を感じたことを、最近とみに思い出します。
済州道は特別自治道に昇格し、観光客で賑わう国際的な「JEJU」になりました。私も済州サラムとして故郷を見守っていきます。
郭勇一(66) 栃木県
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「未来の私」へ 私のパパは日本人で、ママは在日韓国人3世です。パパの両親はママに、「結婚するなら日本籍を取りなさい。」と言って、結婚式には参加しなかったそうです。家族でママだけが韓国人です。
私がお正月にお年玉をもらうのは、ママのほうだけです。日本と韓国のことはまだよく分かりません。でも、私はパパとママの子どもで幸せです。
ママは韓国に留学したかったそうです。私は韓国でも勉強したいです。二つの国で友だちができたらいいな、と思います。そうすれば、ママもきっと喜ぶと思います。
岩沼友美恵(12) 神奈川県
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中上健次 殿 あなたとは東京とソウルで、在日2世の共通の友人が設けた席でお会いしました。異様な風体の暗い眼をしたこの男が被差別部落出身のあの有名な芥川賞作家か、と思うだけでした。作品も私にはとっつきにくいものでした。その頃あなたは、韓国の作家と「おたがいに文学で侵略しあおう」と意気投合していたのですね。高山文彦著『エレクトラ 中上健次の生涯』を読んで知りました。
在日と韓国の作家にも発破をかける文学への凄みに感銘し、在日の現状を憂える言葉遊びをしているに過ぎない自分を恥じました。あなたの作品を読み込んでみます。凄みに少しは近づくために。
南英吉(61) 奈良県
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亡き友よ、同志よ 「ハナミズキ 霞みかすませ 君の逝く」。
1年前の春、君を涙ながらにおくり出すときに作った句だ。駄作と笑わんでくれ。君の棺が通った道の両脇には、白やピンクが淡くどこまでも連なっていただろう?
喪失感と言う言葉があるのは知っていたが、今頃になって実感として迫ってくる。10余年前、二人して総連と縁を切った。そして仲間を増やした。総連を改革する力のない僕らにとって、離れることがせめてもの良心宣言なのだ。君の家族を僕ら仲間はこれからも支えていく。
朴久男(63) 茨城県
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韓国の労・使皆様 一時期よりは減ったようですが、労働争議はまだまだ盛んなようですね。無限競争時代に入った世界経済の視野から見て、自分たちはそんなことでいいのか、と思いませんか。
韓国の労・使は、自分たちが闘うのは中国や、日本、米国など先進国の労使だと言うことを強く自覚すべきです。どの国の労使より団結して、生産性と競争力のある企業にならなければ、国も企業も生き残っていけません。韓国経済が上り調子のうちに体質転換を。
呉世基(42) 京都府
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爆弾酒君へ 確かに君はうまい。韓国人どうしであれこれ呑んで飽きが来るころ、ビールを満たしたグラスにウイスキーを内蔵した君がかならず登場し、場を盛り上げた。ちょっと騙して、日本人に呑ませると、君は期待通りの働きをしてくれた。
しかし、本日をもって絶交する。体調のせいで酒豪気取りができなくなったこともある。北韓から砲弾まで飛んでくる時代に爆弾酒は不謹慎との思いもある。しかし主たる理由は、君が軍隊文化の所産だからだ。実戦より酒に剛毅な体質への警告と思ってくれ。
金仁輔(53) 大阪府
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市議選に立つ君に 出馬を決めたのですね。障害児のお子さんへのケアを少し減らしてでも、福祉全体の底上げをしたい、同じ住民である在日外国人の地域への思いを形にしたい、と語ったことを忘れません。
世間の無理解と冷たい行政の壁に無力さを感じながらも、私たち障害者の親を突き動かしたのは、いかなる子どもにも将来あれと願ったからでした。
私には選挙権がありませんが、悩むあなたの背中を押した一人として、苦渋の決断に寄り添うつもりです。
殷仁皓(49) 山口県
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林槿昊 前 在日韓国人3世のアッパと日本人のママの宝物。
槿…むくげ。韓国の国花。生命力の象徴で、とっても強い花。花言葉は「信念」。あなたの想いに自信を持って。
昊…青く深いそら。国境なく、どこまでも続く広いそら。人の痛みが分かる、強くやさしい心を。
アッパとママのそんな想いを込めて名付けました。
人生はもちろん幸せなことばかりじゃない。苦しいことや悲しいこともたくさんあるはず。
でもそれを乗り越えれば、必ずまた幸せなことが待っているから、何があっても家族みんなで一緒に乗り越えていこうね。
林永起(34) 東京都
(2011.1.1 民団新聞)