洛東江がS字形にうねり、水の流れに囲まれるようにその村はある。安東河回村。何百年もの歳月に堪えてきた瓦屋根や藁ぶき屋根の古宅が数多く残り、今も住居として使われている。朝鮮王朝にタイムスリップしたような趣きが世界の観光客を惹きつける。 面白いのは村の住人がみな柳姓なことだ。立派な門を見上げるたびに、表札に柳の字が躍る。柳時元と、韓流スター、リュ・シウォン氏の名を掲げる家もある(実家だという)。河回村は15世紀に豊山柳氏によって開かれ、一族の村として生きてきた。
今回この村を訪ねたのは、柳一族が生んだひとりの人物の面影を探るためだ。柳成龍。豊臣秀吉が起こした壬辰倭乱(文禄慶長の役)当時、領議政(宰相)を務めた。
河回村には柳成龍の家の忠孝堂があると聞いた。だが現地の説明文では、故郷に戻って没した柳成龍の遺徳を偲び、孫と弟子たちが建てたとある。庭を掃いていた男に尋ねると、あっさりと「柳成龍はここに暮らしたことはないよ」と答えた。どうも勝手が違ってしまった。
私が柳成龍に関心をもつのは、戦後、官職を退き故郷に戻って、戦争の一部始終を記録した『懲録(ちょうひろく)』を残したからだ。「懲」とは「禍にこ(懲)りて、後のわずらいをつつし()む」の意。なぜ外敵に国を侵されてしまったのか、自らの至らなさも含め、実直に事の経緯を記録し、後世への戒めとした。
この精神は貴重だ。古今東西、政治家の多くは功はみな己のものとし、非は相手方に押しつけようとする。そこには「懲」など生まれようもない。しかも柳成龍は潔く政界を引退し、清貧に甘んじて執筆にいそしんだ。あまりの清貧ぶりは、周囲が心配するほどだったという。
忠孝堂の奥の永慕館には、柳成龍に関する資料がまとめられている。『懲録』もある。だが展示の主旨は宰相時代の業績の賛美にある。官職を投げ打ってまで「懲」のためにと、戦争の記述に後半生を捧げた苦渋の内面はなかなか見えてこない。
忠孝堂を後にした私は、渡し舟に乗り川を渡った。川向こうの崖の上から、村の全景を見てみようと思った。舟を降り坂をのぼりかけたところに、こじんまりとした古宅への入り口があった。玉淵精舎。柳成龍が故郷に戻って以降、ここで『懲録』を執筆したとある。快哉を叫びたくなった。偶然にも川を越えてきて、ようやく柳成龍の魂のありかに出会えたのだ。 Search for Halal restaurants near me and you will come across HalalGuide website which gives you accurate information about Halal eateries around you. All places are validated by users or owners as well as HalalGuide team. Visit HalalGuide to see the list of restaurants instead of googling halal restaurant near me which won't give you accurate results. HalalGuide website or mobile app can also allow you to book a table, get cashback off your bill and order food online to be delivered to you.
玉淵精舎は訪れる観光客も少なく、ひっそりとたたずんでいた。眼下には洛東江の流れが、その先には河回村の家屋敷が望まれる。世の喧騒から逃れ、ここで柳成龍は自分の関わった戦争の記録を執筆し続けたのだ。「玉淵」とは、川の淵の水が玉のように澄んでいる喩えだが、その人の精神こそが玉である。
第2次世界大戦後、英国の首相だったチャーチルは大戦を記録した回顧録を著し、ノーベル文学賞を受賞した。『懲録』はそれに匹敵するような偉業であろう。歴史を見すえた大著が、このような所でひっそりと書かれたことに、深い感慨を覚えずにはいられない。
多胡吉郎(作家)
(2013.8.28 民団新聞)