掲載日 : [2007-09-26] 照会数 : 7973
フラッシュ同胞企業人(13) 迅速・安全の足に徹し
[ 1947年千葉市生まれ。62年千葉市立新宿中学卒。76年に現在の松本運送(本社・千葉市)を設立。民団千葉県本部副団長。1男2女、孫4人。 ]
首都圏で運送業続けて30年余
松本運送の郭福男社長
近年、物流事業の重要性がますます高まっている。運送会社を設立してから30年余。浮沈の激しい業界にあって着実に成長してきた。
「運送業は指定された時間を厳守することがなによりも大事。一歩一歩地道に信用を積み重ねてきた」
ビル建設時の足場の資材を運ぶのが主な仕事。東京、埼玉、茨城、千葉の1都3県が業務エリアで、保有トラック台数は40台。06年度売上額は約8億円、社員70人。
中学を卒業後、父親のスクラップ業を手伝った。「学校より、社会に出て学んだことが多かった」。取引先の建設会社から「資材の運搬を手伝ってくれないか」と話を持ちかけられたのが、運送業をてがけるきっかけだった。
大手が取引先に
76年に運送業松本興業(現在の松本運送)を設立。経営理念は、SPEEDY(迅速)、SAFETY(安全)、SUPPORT(顧客支援)の「3S」。スピーディに顧客の要望に応え、安全に運ぶのが信条だ。
始めたころの取引先は中小企業が主だったが、持ち前のまじめさが評価され、今では大手建設企業(ゼネコン)が中心だ。「30年間続けてきたことで、社員の朝6時出勤は伝統になった。新しいドライバーが入ってきても、1年すれば習慣になる」。
社員にはいつも、「ドライバーも顧客に好かれるよう対応し、プロの自覚を持て」と基本的マナーを教えている。「社員の懇切丁寧なサービスがなければ、会社は伸びない」というのが持論である。
90年代、バブルがはじけたとき、大手取引先の倒産のあおりで、資金繰りなどで苦しんだ。「いろいろ迷ったが、多くの社員を抱えながら辞めるわけにはいかなかった。やむなく人減らしを行ったが、安値受注だけは避けた。自分の首を絞めるだけだからだ」
幸いだったのは、付随事業を展開できたことだ。92年に敷き鉄板など資材関係のリース・販売、94年にレンタルスペース事業(トランクルーム)、97年に産業廃棄物の収集運搬業を相次いで開始した。千葉市内にある本社は1万坪の敷地を有する。
リサイクル事業
2001年からペットボトルリサイクル事業に着手し、浜野に専門工場を稼動させている。
「もともとペットボトルは運送商品のひとつ。運送するついでに空きボトルも処理することになった。始めた当初は引き取るのに手間賃をもらえたが、今は逆にカネを払う。それだけペットボトルの資源利用率が高くなった」。
ペットボトルのリサイクル率は日本が世界でも有数だけに、将来性のある事業だ。「環境分野では韓国の方が進んでいる部分があり、リサイクル用の機械を韓国から導入した」。
仕事だけでなく、民団、商工会、道民会、ロータリークラブなどの関係で訪韓は年に10回を数えるという。
「実は本名を使い始めたのは、独立したとき。自分自身、アイデンティティー問題で悩んでいたが、子どもが幼稚園に入るのを機に決断した。取引先は役所や日本企業がほとんど。人間として卑屈にならないよう、差別問題にこだわらないように努めた」。
出自をオープンにし、自然体で生きるのが一番だと強調する。
(2007.9.26 民団新聞)