掲載日 : [2004-06-30] 照会数 : 6588
<Special Wide>七夕を前に考える③世宗時代の科学技術
[ 図①懸珠日晷=底をえぐって水を入れ、羅針盤を浮かべて定南を知る。糸の影が示す時版は表面は春分から秋分、裏面は秋分から春分に使う。図②天平日晷=懸珠戸構造は同じだが、組み立て式なので携帯により便利だった。図③定南日晷=照準台の穴を太陽に合わせると、入ってきた太陽光が赤道環に表示された目盛りに落ちる。高度と時刻の相関関係で羅針盤なしでも定南が分かる。 ]
<Special Wide>七夕を前に考える 暦と時の韓日交流③
世宗時代 爆発的な科学発展
朝鮮朝・世宗時代に科学技術が飛躍的に進歩したのは、一つに農業の生産性を高め、国力増強を図るためだ。豊凶を予測する雨と風、節気の把握には、正確な自然計測が欠かせない。
当然のこと、中国とは異なる自然条件をもつ韓国独自の基準によって、気象観測する必要性が高まった。まず雨量計がつくられた。また、雨量を左右するのは風である。南西側から海を渡ってくる風は温かく湿気を含み、北東の山塊を越えてくる風は冷たく乾燥している。風気台を設置して風向と風速を測定した。
しかし、こうした資料が蓄積されても、種まきから収穫に至るまでのタイミングを逃がせば台無しになる。したがって、それまでの中国を観測地点にしたカレンダーの使用をやめ、韓国を観測の中心にした「七政算内・外篇」を作成し、より正確な節気を把握した。さらには、日課にも時間的な精密さが求められる。各種の時計がつくられたのはこうした理由だ。
新羅の三国統一以来、韓民族は寒冷地での米作技術の向上を背景に北進政策を進めた。韓民族の統一国家と中国との国境を、ほぼ現在の位置まで押し上げたのは世宗時代だ。これに、科学技術の発展が大いに寄与した。
(2004.6.30 民団新聞)