掲載日 : [2004-07-14] 照会数 : 7556
<Special Wide>日本で伝承される「百済」(04.7.14)
狂言の野村万之丞一門
四天王寺そばの金剛組
伎楽の復興に執念 師の遺志継承を誓って
連綿1400年の歩み 寺造工の始祖誇る
百済から伝来した伎楽を「真伎楽(しんぎがく)」と名づけて復興し、韓日国民交流年の02年には百済の古都・扶余で、今年4月には平壌で公演した狂言師の野村万之丞さんが先月10日亡くなった。万之丞さんは加賀藩お抱えの狂言師・野村万蔵直系の8代目当主。44歳の若さだった。
伎楽とは仮面楽劇の一種。『日本書紀』の612年の項には「百済人味摩之、帰化。伎楽を能くするにより、真野弟子・新漢済文らに学ばせる」とあり、万之丞さんはここに登場する味摩之を伎楽の始祖としてきた。伎楽の仮面は東大寺や法隆寺、正倉院に数多く残されており、聖徳太子自らが子どもたちに教えたとの記録があるほか、寺社などで盛んに上演されたと伝えられてきた。
しかし、その芸術性は能・狂言など日本古典芸能に受け継がれたものの、独自芸能としての伎楽は鎌倉時代までにはすっかり消滅した。狂言のルーツにもつながる伎楽の復興に執念を燃やした万之丞さんは、10余年の歳月をかけ、仮面14種23面と衣裳道具などを復元するとともに完成度の高い作品を練り上げた。
「韓国は恨(ハン)の国というけれど、これは相手を恨(うら)むというのではなくて、本来いっしょにあるべきものが離れているから悲しいということ。だから韓国と北朝鮮の関係は恨なわけ。本当は国境線など引けない」。
常々こう語ってきただけに、韓国に続く平壌公演にかける彼の情熱はすさまじく、この公演直後に体調を崩したまま、帰らぬ人となったのも何やら因縁めく。真伎楽は3歳で初舞台を踏んだ万之丞さんの40年にわたる狂言の集大成といえるもの。その遺志は真伎楽をともに作り上げてきた共演者たちによって伝承されていくとのことだ。
大阪の四天王寺近くに本社のある金剛組は、1400年以上の歴史を持つ建設会社だ。同社は社史の冒頭に「金剛家初代当主・重光が四天王寺建立のために百済国より招かれる」と記している。『日本書紀』の577年の項に、「百済王、大別王に託し、経綸・律師・禅師・比丘尼・呪術師・造仏工・造寺工を献ず」とあり、その造寺工が始祖の重光である。現社長の正和氏は40代目に当たる。
旧関西興銀が創始した一大歴史絵巻「四天王寺ワッソ」の舞台として、同胞社会にもなじみの深い四天王寺は、聖徳太子が摂政になったとされる593年に、一部を残して建立された。南北84㍍、東西60㍍の回廊をめぐらし、その内に塔と金堂、回廊南中央に中門、北に講堂を配したもので、百済の古都・扶余の定林寺跡と同一の百済式伽藍として知られるのも当然だろう。
四天王寺は戦乱や天災によって幾度も焼失・倒壊したが、金剛組はお抱え大工として普請に当たるたびに技術を向上させ、全国に伝播してきた。1868年(明治元年)の廃仏毀釈令による四天王寺の衰退、戦時中における寺社仏閣の普請の途絶など、たびたび経営危機に見舞われながらも生き残ったのは、技術と歴史に対する誇りがあったからだ。
株式会社として経営の近代化を図り、寺社以外の一般建築や個人住宅を手がけるようになったのは、ようやく1955年、39代目当主になってからである。割高に映る技術優先の仕事は再び壁にぶつかっているという。
しかし、正月2日には初代以来の「手斧初め」の儀式を欠かさず、「ギネスブック」が「世界最古の企業」として登録する動きを見せるほどの存在である。危機を乗り越えてきた伝統も、今一度発揮してもらいたいものだ。
(2004.7.14 民団新聞)