掲載日 : [2022-06-24] 照会数 : 3687
「新羅王」の遺徳偲ぶ…墓碑に案内板設置 民団新潟伝承2カ国語で
[ 第120回新羅王祭での除幕式 ]
燕・竹ケ花集落 住民が祭礼続け120年
【新潟】800年前、韓半島から漂着した「新羅王」が住みついたとの言い伝えがある燕市中島の竹ケ花集落に、民団新潟本部(鄭和仁団長)が韓日友好を願い、伝承を紹介する2カ国語の案内看板を設置。12日、「新羅王」をしのぶ祭礼でお披露目された。祭礼は「新羅王」の遺徳をしのぶ地元住民有志が1902年から続けている。今年で120年目。
新たな看板は旧分水町の熊野三社の奥にある墓碑の前に設置された。地元有志でつくる「竹ケ花集落新羅王碑を守る会」との連名。
「新羅王と新羅王祭」と題した説明書きによれば、「新羅王」とは、渡来から300年くらい前に滅亡した新羅王の子孫とされる。従者5人を連れ従え、1222年ごろ長岡市の寺泊に漂着した。竹ケ花の山中で暮らす傍ら、地域の人々に新羅の文化や農業や医療などの進んだ技術を伝えたことで村人たちの尊敬を集めた。こうしたことは鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』など複数の史料で確認されている。
「新羅王」は渡来から34年後に没した。村人は墓を建立。以来800年近くにわたり奉祀を続けている。1898年には土中から骨壺が見つかったという。1902年には地元有志が墓碑を再建し、祭礼を続けている。集落の住民は「新羅王」の伝承を聞いて育ち、祭礼以外にもお盆の時期になると参拝する人がいる。
看板設置は21年8月、駐新潟総領事館の権相煕総領事が現地を訪問したことがきっかけとなった。除幕式に参加した燕市の鈴木力市長は「歴史ドラマで取り上げられた新羅をより身近に感じる。これを契機に韓国との新たな交流、つながりが生まれることを期待したい」と話した。
墓碑を建立した家の子孫で「守る会」会長の梅津和恵さん(75)は「次の世代に伝承していくことが難しくなっている中、協力してもらい立派な看板ができてありがたい。これからも新羅王祭が続いていくきっかけとしていきたい」と語った。
駐新潟総領事館から姜根亨領事、民団新潟本部からは鄭団長をはじめとして4人が参加。参列者とともに墓碑から50㍍ほど離れた「新羅王」の墓に参拝し、住居があったとされる空地も見学した。
姜領事は「竹ケ花に『新羅王』が眠っていることをほとんどの韓国人は知らない。この美しい話を両国に知ってもらえば友好関係を築くことにつながるのではないか」と期待している。
◆武寧王とは
『日本書紀』などによると、461年、百済王の側室が日本に向かう途中に産気づき、加唐島で生まれたとされる。501年に即位。高句麗に敗れ、危機的な状況にあった百済を安定させたことで「中興の祖」ともいわれる。日本、中国とも活発に外交を行った。
(2022.06.22 民団新聞)