掲載日 : [2017-02-22] 照会数 : 5050
高校生と歩く旧高麗郡遺跡…地元の自由の森学園主催
[ 初代郡司、高麗王若光の生涯を寸劇で演じる高校生たち ]
「飯能地域研究」の一環
寸劇で若光の生涯披露
【埼玉】高句麗から渡来した高麗人(こまびと)とその子孫が集落を構えた1300年前の証しを探すバスツアーが5日、飯能市であった。年代的にはおおむね入植当時の奈良時代から平安、鎌倉時代ぐらいまで。
主催は私立自由の森学園高等学校(飯能市小岩井)の選択講座「飯能地域研究」。一般社団法人高麗1300(日高市)が共催に加わり、公募で集まった30数人を旧高麗郡原市場村に案内した。
飯能市郷土館学芸員の村上達哉さんによれば、この地域からは当時の文化財や遺跡が多く出土し、発掘調査も比較的順調に進んでいるという。
まず訪れたのは、本殿と御正体が県指定文化財となっている唐竹白鬚神社。「唐竹」は高麗人が本国から竹を移して植えたのが由来とされている。建立は8世紀で、江戸時代に建て直された。飯能地域研究所属の高校生5人が高麗郡の初代郡司となった高麗王若光の生涯を描いた「若光物語」を寸劇で披露した。
9世紀中ごろ平安時代になると、人々は山間部に集落をつくり始めた。これは鉄の文化と密接な関係があるという。杉やひのきなどの木は燃料として陶器づくりばかりか金属加工にも利用されたとみられ、鉄の斧も出土している。
郷土館学芸員の村上さんが次に案内したのは同神社からほど近いヨマキ遺跡。規模は南北100㍍×東西90㍍ほど。4軒の集落跡と青磁の破片、飼育していた馬の骨も出た。現在は発掘調査を終え、山に向かって新しい住宅群が広がっている。
隣接している横道下遺跡はさらに規模が大きい。入間川を望む緩い斜面上に立地し、竪穴を掘った家の跡が17軒、なんらかの目的で掘った土坑は155基が見つかっている。
最後は遺跡群から徒歩で約30分ほど山の中に分け入り、タタラ場(鍛冶)の痕跡を残す叶神社を見学した。「叶」は「金生(カナウミ)」の語形が変化したもので、製鉄に携わる技術者が集団で生活していた場所とされる。
飯能郷土史研究会会員の戸谷克己さんによれば「この近辺に住んでいた関東武士団の武具を製作するため、盛んに製鉄や精錬がなされていた」という。近くの神社に奉納されている絵馬には、緋の袴をはき、長い黒髪を振り乱して大槌を振り下ろそうとする女性と、烏帽子をかぶって金鋏で刀身を鍛えようと小槌を振り上げる男性の姿が描かれている。
埼玉県内の川越市から参加したある男性は「飯能にはよく来るが、このような歴史があることは初めて知った。これを機会に遺跡を訪ね歩きたい」と語った。
(2017.2.22 民団新聞)