掲載日 : [2017-01-01] 照会数 : 9273
韓日関係前進へ尽力…「草の根交流」牽引者に聞く
[ かわむら たけお
山口県萩市出身、慶応義塾大学卒。自民党衆議院議員。小泉内閣の文部科学大臣、麻生内閣の官房長官などを歴任。日韓議員連盟幹事長も兼任 ]
[ ほさか さんぞう
東京都台東区出身、立教大学卒。自民党台東区議会議員、東京都議会議員を経て参議院議員。小泉内閣時に経済産業副大臣就任。2002年から現職 ]
[ なかむら とらあき
東京都板橋区出身、慶応義塾大大学院・ソウル大大学院卒。行政学博士。下村博文事務所(秘書)、法政大学大学院講師などを経て2015年から現職 ]
韓国政局は不透明だが、民団は今年も韓日友好親善に全力を尽くす。明るい兆しはある。韓日の民間団体が共同で申請した朝鮮通信使のユネスコ世界記憶遺産登録が、今秋にも実現する可能性がある。民団が日韓親善協会(日韓協)など友好団体と連携して声援を送る2018平昌冬季五輪も1年後に迫ってきた。長年にわたり、日本側で「草の根」の日韓親善活動を主導してきた国会議員、東京日韓協連合会会長、韓国生活体験をもち、「多様な韓国」を発信する東京の区議会議員に日韓親善増進のあり方を聞いた。
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若者の相互理解緊要…未来志向で過去乗り越えを
河村建夫氏 日韓親善協会中央会会長
日韓中子ども童話交流事業も
日本の超党派議員で構成される「子どもの未来を考える議員連盟」の会長を務めている。健全な子どもたちを育成するために2001年、体験活動や読書活動を推進する「子どもゆめ基金」を設置した。
日本、韓国、中国の3カ国の子どもたちが出会い、それぞれの国の絵本や童話を通じて読書の楽しみを知り、語り合う中で相互の文化を知り、理解する機会を提供しようと考え、02年の「日中韓国民交流年」に「日中韓子ども童話交流事業」に着手した。
絵本を持ち寄って、夏休みの1週間合宿をしたらどうだろうと、3カ国の小学4年から6年生までを対象に、日本からは47都道府県から代表50人を選び、韓国と中国はそれぞれ25人ずつ50人を招いた。合わせて100人がお盆明けの8月16日から1週間、10班に分かれて創作絵本作りにチャレンジした。
互いに言葉は通じないが、共同作業をしていくうちにすぐに打ち解け、仲良くなっていく。最終日には互いに肩を抱き合って涙を流しながら、再会の約束をするほどになった。
8回目(10年)までは日本開催だったが、9回目からは中国、韓国と巡回開催する形をとっている。「星」や「山」、「海」、「森」、「炎」、「大地」、「風」、「実(みのり)」などの自然をテーマに、子どもたちがそれぞれ1㌻ずつ担当し、絵本を創作している。
第1回の参加者だった子どもらはもう大学生になった。OB交流会も行われ、「お互いに助け合おう」という未来交流プランの提案も出ている。
「友だちになりたいとの思いで種をまけば、友情の花は咲き、実を結ぶ」。3カ国のOB代表が宣言文に込めたこの言葉に、今よりも明るい希望が見えてくる。
犬猿の仲だったドイツとフランスが、若者交流を通して相互理解を深め、今日のEUがあるという。日韓も過去を乗り越えるためには、若い頃からの交流が必要だ。
OBたちはお互いの国の言葉を勉強したり、留学先に相手国を選んだりするという。今年は韓国で開催されることになっているが、政局混乱が子どもらの事業に悪影響を及ぼさないことを祈っている。
政治を持ち込まないというのが基本ルール。開催が危ぶまれるようなことがあれば、私が韓国に乗り込んで説得する。
通信使交流議員の会の先頭にも
「朝鮮通信使交流議員の会」の会長も務める。ユネスコ世界記憶遺産登録も今秋までに実現しそうだ。豊臣秀吉の朝鮮出兵で冷え込んだ日韓関係を、徳川幕府がいかに平和外交でほぐしていったか。200年間で12回の使節団を受け入れた事実は重い。
静岡には朝鮮通信使を接待した清見寺があり、下関には通信使上陸を記念した金鍾泌元総理が書かれた碑がある。浅草の東本願寺は通信使の宿所になった。随所に物語がある。史実を掘り下げ、郷土史に残していくことも必要ではないか。
通信使という日韓の共通の歴史を、民間レベルで世界遺産登録に共同申請した。民団も広報活動などで支援した。実現すれば、未来志向の日韓関係の推進につながっていく。
日韓関係が最悪だと言われた国交正常化50周年の2015年。両国の歴代首相らで構成する「賢人会議」のメンバーに、国会議員として唯一選ばれた。日韓親善協会会長だからだ。
その日韓協も今年は創立41周年。協会不在の地方もある。民団の協力を得ながら、全国化が当面の課題だ。
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「在日」とは自然体で…本名で活躍できる日本社会に
保坂三蔵氏 東京日韓親善協会連合会会長
「嫌韓」と「反日」に多数が辟易
昨年創立40周年を迎えた。節目の年の1年間、2015年の日韓国交正常化50周年の意義を無駄にしまいとの一心で活動してきた。西東京日韓親善協会が再建大会を開いたことも喜ばしい。
日本と韓国が表舞台で対応する時は、本音が出ずに建前が出る。その様子をよそよそしいと感じる。
民間はそうではなく、本音の世界だ。例えば、日本で「嫌韓」とか、韓国で「反日」とか言うが、お互いの大衆の心の中に、戦後70年経ってもまだ本当にそういう気持ちが強くあるかどうか。
新聞紙上には、韓国の「反日」や日本のヘイトスピーチの記述が目立ち、ほとんどの日本人が辟易している。「面倒くさい。しばらく韓国は放っておこう」ということになる。
連日、テレビで朴槿恵大統領退陣要求デモを見たり、韓流ドラマを見ている人も多いのだから、韓国に無関心なはずはない。ましてや北朝鮮の核実験・ミサイル発射問題が起きれば、日本人も恐怖を感じる。
無関心であろうとするのは装いだ。日本人の頑な心を開けるのには、2002年のサッカーW杯日韓共催に原点を求めるべきだ。
日韓共催が成功したのは、文化やスポーツ、経済が心の扉を開けるのに一番適切なツールだからだ。
東京都アーチェリー協会の会長を務める。この世界では強豪の韓国からコーチを招き、指導を受けることもある。
スポーツが日本人と韓国人のわだかまりを消してくれる決定打になると確信している。
来年に控えた平昌冬季五輪。平昌に行こうという気持が高まる時に、朝鮮通信使のユネスコ世界記憶遺産登録が決まる見通しだ。その後にはラグビーのW杯、東京五輪と続く。日本海をはさんで韓国と日本を行ったり来たりする。平昌に来た人が東京にも来るし、東京五輪に来た人がソウルや韓国の都市に行く。
そういう交流が一番いい。日本海を平和の海にするには、日韓の民間交流から始める。それが国を動かす。「千里の道も一歩から」という言葉があるが、高い山も最初の一歩がないと頂上を極められない。
平昌五輪のことを、まだ多くの日本人が認識しているとはいえないが、フィギュアやジャンプ、スピードスケートなど、メダルが狙える競技を中心に日に日に盛り上がって来るのは目に見えている。韓国政府は平昌五輪を国を挙げての大会として成功させるために、近隣諸国に協力を求めてほしい。
「平昌」に続き東京五輪成功へ
日韓協は民団東京本部と連携して観戦に行く予定だ。大勢の人が韓国を訪れるよう期待している。民団には東京五輪招致の際にPR活動で盛り上げてもらった。まずは平昌を成功させ、その勢いを東京につなげよう。
新大久保に行けば、韓国料理店やショッピングに日本の若い女性が大勢駆けつけている。男性よりも本音で行動するし、韓国を身近な存在として感じている。韓国料理の名もすらすら言える。そういう現実を私たちは見逃してはいけない。
海外に居住する韓国人が数百万単位にのぼり、在日韓国人はその1割だという。在日韓国人のように日本の市民社会に溶け込んで生活する例は、諸外国ではあまりないだろう。
そういう在日韓国人と本音で付き合おう。互いに口先だけでなく、自然体でいこう。在日韓国人が本名のまま自然体で活躍できる日本社会を願い、草の根の親善活動に今年も全力を尽くす。
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「多様な韓国」を紹介…一面的な双方報道は〞百害〟
中村とらあき氏 自民党板橋区議会議員
合計15年間の韓国生活もとに
慶応義塾大学院で地方行政を勉強していた。米国と日本の比較もしたが、1995年に韓国で地方自治が再開されたのを機に、「これから勉強するのなら、日韓比較をしたほうがいいものになるのでは」という心持で96年に韓国に留学した。
ソウル大大学院で7年半学び、大田市の大学で7年半働き、合計15年間、韓国で生活した。言葉の勉強のために、ドラマ「冬のソナタ」や「チャングムの誓い」を見ていた。韓流の始まりを肌で知る一人で、文化の違いを感じることもあった。
例えば、日本の場合は物事を決めるまでにみんなの意見を取り入れたり、周りに配慮したりして、きちんと進めていく。だから時間がかかる。日本は行政の力が強い。
これに対して、韓国はすぐに決まってしまう。トップダウンというか、政治の力が非常に強いと感じた。商談の場合でも、言葉の受け取り方が違う。韓国人が「ハルス・イッタ」と言えば、日本人は通常、「できる」と理解する。しかし、韓国人には「できるだろう、そうしたい」という願望まで含まれるから、決裂した時はやっかいだ。言葉一つの使い方からビジネス文化の違いや国民性の違いを見た。
昨年11月に初めての試みとして、板橋区「日韓友好フォーラム〜韓国の文化を体験して友好関係を考えよう〜」を開いた。民団板橋支部にも後援をもらった。韓国の伝統遊びのユンノリやチェギチャギ、韓紙を使った作品作りに日本人が初めて取り組んだ。
こういう活動を通して、韓国に多様なものがあることを皆さんに知ってもらいたい。今年はフォーラムの恒例事業化や、日韓協の板橋支部結成も視野に入れている。
年に一回は訪韓して恩師や友人と再会する。
韓日相互理解のためには、政治面から風穴を開けることも大事だが、専門家による分析と一般大衆に対する啓発が必要だ。これまで歴史認識をめぐって、双方の学者が何度も意見を交換してきた。しかし、互いの国家利益や人間関係を抱えて、「玉虫色」で終わってきた。
ソウル大の教授が「植民地時代の日本の行政によって韓国は発達した」と発言し、「親日派だ」と学界から追放されたことがあった。それはいかがなものか。外からの批判を受けながらも学者が保護され、自由な研究ができる環境をつくらなければならないだろう。
友好増進には実態を正確に
報道の在り方が問題なのではないか。韓国にいる時は、日本についての報道は、靖国神社問題ばかりだった。日本でも韓国の大統領退陣要求デモばかり報道する。そうすると、お互いの国について怖いねという印象をもつことになる。
両国の報道が、事実の一部を切り取り、全部であるかのように取り上げる。デモにはお祭り騒ぎの側面もあるし、片隅で開かれているコンサートなど実態に即した報道にすべきだと思っている。視聴率を考えてインパクトが強い場面ばかり取り上げている。一面的な報道は、お互いの対立感情を煽るだけで、友好にはならない。
板橋区には韓国籍者が約1800人いる。共に暮らす区民だという認識のもと、国籍で差別することがあってはならない。在日韓国人や、それに連なる人たちとの交流を今後も続けていければと思っている。
(2017.1.1 民団新聞)