掲載日 : [2017-01-18] 照会数 : 5440
花開くマルチな才能…在日3世の女優・洪明花さん
[ 抱負を語る洪明花さん ] [ 小田島さんから賞状を受ける洪明花さん ]
小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞
2016年に上演された作品の中から、優れた翻訳戯曲を提供した翻訳者に贈られる「第9回小田島雄志・翻訳戯曲賞」を、朴根亨作「代代孫孫2016」(脚本・演出=シライケイタ)と、張鎭作「トンマッコルへようこそ」(演出=東憲司)を翻訳した在日韓国人3世の女優、洪明花さん(東京・杉並区)が受賞した。韓国語(もしくはアジア圏)の翻訳戯曲の受賞は初めて。洪さんは両作品に出演もしている。10日に東京・豊島区の「あうるすぽっと」で開かれた授賞式で洪さんに会った。
「いつか崔承喜を演じたい」
授賞式のあいさつで洪さんは、関係者へ謝意を述べるとともに、本名で生きてきた思いや受賞への感想を笑顔と涙まじりで語った。その姿をじっと見つめていたのは両親だ。母親は時折、目頭を押さえながら洪さんの話に耳を傾けていた。
戯曲の翻訳を始めたのは3年前から。これまで10作品以上を手がけた。なかでも笑いや方言の持つ魅力を際だたせる日本語の表現には神経を使う。「作者の思いをどこまで伝えられるか、意訳はどこまでできるのか」。毎作、迷いや葛藤は尽きないと言う。
洪さんは大阪・生野区出身。「女は大学よりも短大、お見合いをさせて嫁がせたい」という厳格な父親の元で育った。中学時代から大阪芸術大学の演劇科を志望。だが「父親に反対されることは目に見えていた」。
中学卒業後、洪さんは一計を案じる。子どもの頃に習ったピアノでの入学だ。自ら先生を探し出し親に本気度をアピール。ピアノだったらと父親の承諾を得た。同大入学後、2年生から「計画通り」の行動に出る。
当時、大学に在籍していたのは、現在活躍中の俳優、古田新太さんや羽野晶紀さんたち。親交を深めるうちに、舞台に立つ機会を得る。
その後、辰巳琢郎さん、生瀬勝久さんらが座長を務めた劇団「そとばこまち」のオーディションに合格。洪さんは学業より役者の仕事を優先させた。
だが、声がかかるのはタレント的な仕事ばかり。女優としては使ってもらえないという葛藤の末に劇団を休団し、大学に戻った。
洪さんは24歳で結婚する前、ソウルの国際教育振興院(現国立国際教育院)に2カ月間留学した。「芝居を辞め、何か熱中できるものを持ちたかったから」
帰日後、兵庫の韓国商工会議所に勤めながら韓国語の勉強を続けた。転機が訪れたのは離婚後、ニュージーランドでフリースクールを営む叔父から、「フーテンの寅さんのミューッジカルをやりたい」と呼ばれたことだ。営業から振り付け、演出まで一人で担った。
この経験により洪さんは、封印してきた芝居への思いと向き合うことになる。「結局、根性が無くて辞めた芝居をもう一度やりたい」。02年に上京した後、小劇場での活動を経て、03年から13年間、劇団ユニーポイントに在籍。04年に公開された崔洋一監督の「血と骨」の出演が縁となり劇作家・演出家の鄭義信さんら在日の演劇人と知り合う。
それまでは、自分の力で闘いたいと在日のコミュティーから離れていた。在日の演劇人との交流をきっかけに、05年に同団初の韓国公演、そして夢を実現させるため、14年に文化庁の新進芸術家海外研究制度の国費留学として1年間滞在した韓国で、朴根亨さんら演劇人とつながるなど、不思議な縁を感じてきた。
今後、翻訳については「おかしさの中に悲しみや切なさのある韓国の戯曲を紹介したいし、共同制作を増やしていきたい」。
夢は「伝説の舞姫」崔承喜を題材にしたひとり芝居だ。小学1年から中学2年まで韓国舞踊を続けた。「私にしかできないような気がしている」。そのためのステップとして昨年1月にひとり芝居を上演。今後、作品を増やしていくという。
今年から女優名を「みょんふぁ」に改めた。司会、ナレーション、通訳、翻訳などをこなしマルチな才能を発揮する。これからどんな輝きを見せてくれるか楽しみだ。
(2017.1.18 民団新聞)