今年の新成人対象は1996年4月2日から97年4月1日生まれ。85年、日本の国籍法改正によって国際結婚による多重国籍者が増え続けている。今年の新成人の多くは「次世代育成は幼少期から」と、民団が2001年から始めた児童対象のオリニジャンボリー、そして、その後続事業として始めた中学、高校、大学生を対象にした次世代母国訪問(2015年から次世代サマースクール)の参加経験者が多い。この世代は韓国人としてのアイデンティティーをどう確立してきたのか、また、在日と民族とをいかに繋げてきたのか。民団の次世代イベントや学生会、青年会のイベントに参加した新成人に二十歳の抱負を聞いた。
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気楽に悩み話せる財産
鄭善姫さん 茨城県生まれ 城西国際大学2年 私は韓国にいる親戚に会いによく行っていたので、韓国人だということは普通に自覚していました。
在日の友だちが出来たのは、民団のイベントに参加したのがきっかけです。日本の友だちに話しても分からない悩みを、話せる友だちが出来て、私の悩みが減りました。
大学の学部が看護学部だということがあり、忙しくてなかなか予定が合わないこともありますが、出来るだけ民団のイベントなどに参加していきたい。たくさんの仲間に出会い、イベントだけでなく、連絡を取ったり、時間を作って会ったりして友情を深めていきたいし、周りに同胞の学生がいたら誘って輪を広げ、このような集まりを大切にしていきたいです。
このようなイベントを知らない人もたくさんいるので、声をかけて、助け合ったり、支えあったりしていけるような仲間作りをしていってほしいです。
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さまざまな国回りたい
金美華さん 大阪府生まれ 関西大学2年 小学生のとき、同胞たちとルーツについて学ぶ民族学級に通ったことで韓国人としての自覚は芽ばえていました。高校は、在日がほとんどいない学校に通ったけど、まわり(日本の友だち)との違いに気づき始め、やはり自分は韓国人なんだなと痛感しました。
そんな私が大きく変わったのは、大学生で在日韓国学生会のイベントに参加し、多くの仲間と知り合えたこと。高校では差別を受けるのが怖くて在日であることを隠していたけど、在日の友だちができたことで自分のアイデンティティーに自信を持ち、堂々と言えるようになりました。
学生会で知り合った友だちであるからといって、そこにとどまることなく、ひとつの「心のよりどころ」としてお互いに刺激しあえる関係でありたいと思います。
二十歳になった今、一番やっておきたいことは、色々な世界を見て視野を広げる旅。旅行が大好きなので、この趣味を生かせる航空関係の仕事につくことが目標です。そのため今、韓国語を猛勉強中です。
在日であることを理由に肩身の狭い思いをしている人も多いと思います。でも在日であるからこそ見える韓国、日本両方のいいところも考えられることも沢山あります。可能性を信じて自分に自信を持って一緒に頑張っていきましょう!
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良き思い出 民族クラブ
南優美さん 大阪府生まれ 関西学院大学2年 私は小学校の民族クラブでサムルノリの練習に励み、チマ・チョゴリを着て全校生徒の前で演奏したりしていました。当時は嫌で仕方なかったですが、今ではいい思い出です。
小学校6年生のときに参加したオリニジャンボリーで、それまで小学校の民族クラブという狭かった同胞の世界が一気に広がりました。在日韓国人じゃないとできなかった経験により、初めて自分には在日のルーツがあるという自覚を持ちました。
また、大学1年生でサマースクールに参加後、学生会の存在を知り、そこで多くの友人ができました。みんなとお互いの話をすることで、自分のルーツについて考えるきっかけが増え、韓国のルーツを大切にしようと思うようになりました。オリニジャンボリーのリーダーの存在は私にとってとても大きく、いつまでも忘れないと思います。私もいつかリーダーとして参加し、オリニにとってそんな存在になりたいです。
日本全国、韓国に友人ができるのは民団、学生会ならではと思います。これからもみんなで集まれたらいいですね。また、自分のルーツのある国を実際に体感したいので、将来少しの間、韓国に住んでみたい。そのために今は韓国語の勉強を頑張ります。
民団や学生会のイベントはたくさんの出会いがあって本当に楽しい。
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在日の民族意識に驚き
李受嬪さん ソウル生まれ・早稲田大学2年(留学生) 韓国生まれの普通の韓国人ですが、実は小学4年生の時、「韓国人」として再認識をしたことがありました。当時、米国に居住していました。学校も周りもほとんど米国人。友だちに韓国生まれと答えたら、いつも「どこの国」と首をかしげられました。
何で「韓国」という国は知られていないのか、このことを父に話すと、「だからこそ韓国人としての自覚をしっかり持ちなさい」と言われました。そんな対話の中から帰属意識と愛国心を持つようになりました。
そして高校生の時、国際交流の一環として日本の姉妹校に研修しにきました。その姉妹校の高校生の中で在日同胞の子と出会いました。彼女は日本名を使い、韓国語ができなかったのですが、「私は在日韓国人です」と自信を持って自己紹介しました。
私が驚いたのは、この友だちは韓国に行った経験もなく、韓国の文化も学んでないのに、母の国という理由だけで韓国を自分の母国との強い意識を持っていたことです。日本での留学生活の期間中、ひとりでも多く、在日の学生たちとの繋がりを広げたいと思っています。育った環境は違えど、ルーツは同じですから。そして知り合った在日の仲間とは、互いに韓日の懸け橋として常に繋がっていたいですね。
新成人という記念すべき年を日本での留学生活の中で迎えたこともある意味、運命ではと感じています。多様な経験を積んで、自分自身についても再発見する年にしたいです。
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同胞と出会いブレ矯正
姜優姫さん 宮城県生まれ・仙台 白百合女子大学2年 民団との関わりの始まりは小学生です。林間学校やオリニ土曜学校へ通いました。また、祖父母が済州島に住んでいるということもあり、子どもながらに「日本」と「韓国」について意識していた気もします。
民団の母国研修、学生会のKSJ、KSJWにおじゃまさせてもらいました。正直、在日の仲間と知り合ってからは色々悩みましたね(笑)。
みんな自分を持ってるし、周りを受け入れる寛容力も持ってる。自分のブレ具合を痛感しながらも、みんなと会うたび、話すたびに何かしらの影響を受けています。
将来は報道系に進みたいと思っています。そこだけは小学生の頃からブレていません。大学の授業に加え、専門学校にも通い、フィールドスタディーを増やしたい。
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国連で平和な世界作り
趙みどりさん 福島県生まれ・拓殖大学2年(学生会中央組織部長) 父親が日本人で、国籍は日本。韓国から嫁いできたオモニが次世代サマースクールの情報を教えてくれました。大学1年生の時です。最初は抵抗感がありましたけど、新たな交流のチャンスと思い、参加しました。
実際に韓国に行って、これまで聞いたこともなかった「在日」のことを肌で学び、「自分も韓国にルーツをもつ身なんだな」と興味が湧きました。在日の仲間は真摯に受け入れてアドバイスしてくれる。在日と日本人とでは、価値観が違うなと痛感しました。
高校生の時、アフリカの貧困や紛争などを学び、少しでも平和実現に貢献できたらいいなと思い、大学では国際学部を選びました。将来は国連職員も視野に入れ、支援団体の仕事をして平和な世界づくりに貢献したいですね。
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アート関連に就きたい
安香奈さん 滋賀県生まれ 国際基督教大学2年 高校生のとき、研修旅行で初めて海外に行ったのですが、パスポートの色が違うことと、みんなとは別に再入国カードを書いたことで、日本人ではないということを実感しました。
大学生になってから夏の母国研修に参加しました。自分と同じような、それも多くの在日韓国人と触れ合う機会は初めてでした。在日の友だちと交流するようになったこと自体が私には大きな変化でした。
将来は、博物館・美術館などのアートに関する仕事に就きたいと考えています。現在学芸員課程に登録しており、博物館や展示に関する授業を取っています。学芸員になれるかどうかは分かりませんが、社会の中での文化の役割的なものに興味があるので、将来は何かしらそういったことを考えるようなことをしたいです。そのためにもアートや文化研究が盛んなイギリスで学んだり、博物館やギャラリーでインターンなどをしていくつもりです。
自分のルーツを知るということはいつかどこかで必要なことだと思うので、民団や学生会の行事に参加して楽しみながらも考えたりしてみてください。
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好きな子ども支援士に
張有李さん 東京都生まれ 上智大学2年 韓国人としての自覚は、物心ついたころからありました。なぜなら、ずっと張有李で生活していたからです。オリニジャンボリーや土曜学校と関わる回数が増すにつれて、より強く意識するようになり、東京韓国学校に通い始めてからは「自分は在日韓国人」だと意識しないくらい自覚していました。
オリニジャンボリーやオリニサマーキャンプにリーダーとして参加しながら、次世代の子どもたちが「在日」として自覚、自信、勇気を持てるような存在にもなりたいです。
私は元々、子どもが好きです。高校2年生のときに子ども療養支援士と出会い、刺激を受け、子どもたちに魔法のような言葉でケアをしながら関わりたいなと思っていました。
子ども療養支援士になるためにはまず、臨床心理士の資格を取得する必要があり、現在、大学で心理学を専攻しています。これからもっと深く心理学について学び、大学院に進学し、臨床心理士の資格を取得して、将来は子ども療養支援士になって多くの子どもたちと関わりたいです。
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海外留学し語学力鍛練
鄭美瑛さん 北海道生まれ 玉川大学2年 自分のルーツが韓国だと知ったのは小学校低学年の頃です。家で韓国語を耳にしたり、韓国料理が出てきたりする環境で育ってきたので、なんとなく理解していました。
在日の人たちと知り合ったのは、小学6年生で参加したオリニジャンボリーがきっかけです。自分と同じ境遇の人が多くいること、在日に対するいろいろな考えを知ることができました。
将来は英語を不自由なく使えるようになりたいです。今は大学で海外から来る留学生のサポートチームで活動しながら、関わる場を広げています。また、海外で語学を勉強できる機会を作りたいですね。
私は民団や学生会が行うイベントには可能な範囲で参加させてもらっています。一人ひとりの考えや在日であることの捉え方はさまざまです。そういった人の話を聞いたり、意見を交換できたりする場があることはとても貴重だと思うので、イベントなどに参加することをおすすめしたいです。
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複眼思考で視野広げる
金由香理さん 大阪府生まれ 同志社大学2年 住んでいる地域は在日韓国人が多く小学校では民族学級、中学校では朝鮮文化研究会で韓国や在日のことを学びました。クラスメイトの半分以上が在日だし、自分が韓半島にルーツを持っていることは当たり前のように自覚していました。
今は学生会の定例イベントでどんどん友だちが増えました。出会ってからの時間は短いはずなのに、今ではみんないなくてはならない存在です。
二十歳を迎えて考えたことは日本、韓国と2つの文化的バックグラウンドを持っていますが、もっと世界に視野を広げようと思っています。そのためにも、まず英語と韓国語の勉強を頑張ります!
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まずは会計士資格取得
金良妃さん 京都府生まれ 駒沢大学1年 小学生の頃、地域の民団の主催で水族館などに行きました。最近では、昨年のサマースクールに参加しました。
サマースクールで知りあった在日の友だちは、大学の友だちよりも同じ境遇の人だからこそ、素で接することができます。これからも民団の行事には積極的に関わっていくつもりでいます。
将来は会計士になりたいと思っています。大学に入り、会計学について学びました。会計学の面白さに気づき、これを活かした仕事がしたいと考えたからです。そのためにゼミでは、会計学専攻のゼミに入り、資格を修得していく予定です。
私は母国語に触れることで、母国との距離が縮まると思っています。
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在日との素敵な出会い
成結香さん 兵庫県生まれ 武庫川女子大学2年 私は日本名で大学に通っていますが、クラスメートには韓国人であることをなんの抵抗もなく打ち明けています。
そのきっかけは高校生の時、朝鮮奨学会のサマーキャンプに参加して、初めて在日の友だちができたからです。その時、初めて民族名で呼び合いましたが、これがとても新鮮に感じられました。
それからはいろいろな行事に参加していくにつれて、同胞の友だちもだんだん増えていき、在日であることを誇りに思うようになったからです。
私も二十歳になった重みを胸に刻み、さらに活動する場を増やしていきたいと思います。
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同胞とは深いつきあい
李花朱美さん 宮城県生まれ・仙台 白百合女子大学2年 青年会同士で結婚した両親と一緒に民団の行事に連れて行かれたので、物心ついたときから韓国人だと自覚していました。
夏のオリニキャンプやサマージャンボリーは欠かさず参加していました。また、毎年夏には仙台七夕に民団が参加しているサムルノリパレードとかにも連れて行かれ、在日同士のつながりの深さを知りました。
大学生になった昨年、正式に青年会の会員に登録し、今では私もこのサムルノリのメンバーに加わっています。
生まれた時から在日というものが身近だったので特に意識していませんでしたが、それでも全国の同年代と知り合ったオリニジャンボリーは衝撃的でしたね。
子どもの頃は考古学者になるのが夢でしたが、大学生になった今、まだしっかりした目標が定まっていません。でも、今後やりたいことが見つかった時に対応できるよう、様々な分野の資格を取得しておきたいと思います。
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経験を積み世界に貢献
金在希さん 愛知県生まれ 南山大学2年 僕は小学校3年生まで、ソウルに住んでいました。そこから両親の仕事の都合で名古屋に住むことになりましたけど、元々韓国に住んでたので韓国人という自覚はありました。
在日の仲間と知り合ったのは、2016年の次世代サマースクールに参加したのがきっかけ。この経験を通じてまたひとつ、友だちの枠が広がりました。その母国研修や学生会で知り合った友だちとは頻繁に連絡を取っていきたいです。
子どもの頃の夢はプロサッカー選手になることでした。今、在日韓国人小学生のフットサルチームのアシスタントコーチをしています。大学を卒業してからも、いろいろな形で何かに打ち込む学生をサポートしたいと思っています。様々な経験を積みながら、将来は世界を股にかけた職業に就きたいです。世界に貢献出来るようなかっこいい人になりたいから。
そのために今、英語と韓国語の勉強を一生懸命しています。
後輩たちには、スポーツと遊びと勉強の全てにおいて、将来後悔しないように一生懸命打ち込んでくださいと伝えたいですね。
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韓国内で在日広めたい
李碩敏さん ソウル生まれ 早稲田大学2年(留学生) 私が初めて学生会の存在を知り、参加したのは2015年のKSJでした。日本全国の在日が集まり、自分たちのアイデンティティーを語り合う場は留学生である私にとって興味深い所でした。その場に参加し、在日の歴史を教えてもらい、韓国人としての誇りを持つことができました。
何よりも育って来た環境が自分とは全然違い、新しい友だちが沢山できたのがうれしかったです。
在日の法的地位、民団と総連で分かれている在日組織など、韓国国内ではまったく勉強する機会がなかった分野でした。また、自分の目の前にいる在日同胞に対する関心が、国内では段々なくなっていることに気づき、危機感を感じました。
昨年は早稲田大学韓国人学生会の副会長を務め、民団創立70周年を記念した学生会との共同イベントとしてセミナーを開催し、留学生仲間たちに在日を理解するための努力をしました。
今年二十歳を迎えます。成人でありながら、学生である私は、今まで以上に在日の友だちと交流し、韓日関係、在日の法的地位や新定住者などとも深く話し合い、学生として私たちができる役割を考えたいと思っています。
何よりも留学生として、韓国国内でもっと在日の存在を認識させるために頑張りたいと思っています。数多くのことを教えてもらったこの学生会がこれからも続き、在日の学生に自分のアイデンティティーをしっかり持ち続ける答えを与えられる組織として発展してほしいと思っています。
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楽しい行事に触発され
崔城豪さん 茨城県生まれ 社会人 僕は小学5年生の頃、初めて民団の存在を知りました。その時は何をやっている団体なのか分からなかったけど、叔母が婦人会にいたのでイベントに連れて行かれました。母が韓国人なので、子どもの頃から韓国に帰ることが多く、小さい頃から自覚はありました。 本格的に在日の仲間ができたきっかけは、中学2年生のときに行った母国訪問でした。最初は叔母に強く勧められ嫌々行きましたが、同じ在日の仲間たちが全国から集まり、こんなに楽しいイベントとは思いもしませんでした。そのとき出会った仲間は、今でも交流を続けています。
仲間は本当に大切なものであり、必要不可欠です。人間一人ではいつか辛い時期が来ます。その時、相談など気楽にできる仲間が大切だと実感しています。
今の夢は、とにかく幸せな家庭を築けるような人になることです。理由は韓国に住んでいる従兄弟の夫婦を見ていると幸せそうだったので、自分もこんな家庭を築けたらと思いました。良い会社で働く事が自分にとってやるべき事だと思っています。
後輩のみなさん、これから在日の様々なイベントなどがあると思いますので、ぜひ参加して交流関係を深め、大切と思える仲間をたくさん作ってください。
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全国に仲間 勇気湧いた
奇龍寿さん 神奈川県生まれ・沼津情報ビジネス専門学校2年
(学生会中央本部会長) 私が住んでいる地域はほとんど同胞がいなく、両親とも3世なので、子どものころは民団や祖国とのふれあいはほとんどありませんでした。でも、家では正月と秋夕に欠かさずにチェサをしていました。そんなことで自分は韓国人なんだなとは思っていました。
民団の行事に初めて参加したのは高校生になってからの次世代サマースクールです。全国にこんなに多くの仲間がいるんだなと知り、とても嬉しくなり、勇気が湧きました。一緒に祖国と在日同胞の歴史を学び、在日というルーツに自覚と誇りを持ちました。意気投合したサマースクールの仲間たちとはその後も繋がりを持ち続けています。そんな縁があって昨年、在日韓国学生会の会長を務めさせて頂きました。この1年、多くの先輩と同胞学生や留学生と出会うことで刺激をもらいました。
今年、学校を卒業するため学生会も卒業となります。ちょっと寂しいですけど、次は青年会に参加し在日同胞社会がもっと良くなるように微力ながら活動をしていきたいと思います。
二十歳になったことを契機にこれから韓国語をしっかり学びます。父親が営むリサイクル業を継ぐために、各種資格を取り、新たな人生の出発点にしたいと思います。
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同胞と語り大きな刺激
尹周作さん 愛知県生まれ・名城大学2年
(学生会愛知本部会長) 韓国から嫁いできた母に連れられて子どもの頃、親と一緒に大韓基督教の教会に通っていたこともあり、韓国や在日同胞とのふれあいはありました。でも、私は日本人でもあり韓国人でもあるという感覚を持っていました。
小学生の頃はプロサッカー選手になるのが夢でした。ワールドカップの影響もあり、まさに日本中でサッカー熱が高まりましたからね。
その頃、正直、韓日戦では日本を応援してましたね。でも、大学生になって在日の仲間たちとふれあい、韓国人としての自覚が高まったことで、今は100%韓国を応援しますよ。
子どもの頃から母が作ってくれた「チャプチェ」や「ヤンニョンチキン」は今でも大好物です。口に合うというかやっぱり韓国人の血なんですかね。
民団社会には大学生になって参加した次世代サマースクールが初めて。それまで完全に日本人化していたのですが、全国の同胞大学生たちとふれあい、語り合ったことで世界が変わりました。
日本人に比べ、同胞は将来の夢とかをはっきり持っている人が多く、尊敬します。自分にとっても大きな刺激剤となり、モチベーションも高まりました。二十歳になったことで、将来の目標をしっかり決める1年にしたいと思います。
2世の先輩たちがこのようなイベントで繋がってきたように、私も今後、青年会等にも参加し、同胞どうしの絆を深めていきます。
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海外協力隊で経験積む
張在さん 宮城県生まれ 拓殖大学2年 私は日本人の父と韓国人の母を持つ韓日ダブルですが、小学生のときに韓国に6年間居住しました。
子どもの頃の夢は、多くの子どもがあこがれるプロサッカー選手でした(笑)。クラブチームにも入り小学校は韓国で、中学からは日本でサッカーを続け、高校はサッカー名門校に入り、全国大会にも出場しました。この時、プロになれるのではと思っていました。しかし、世の中は甘くありませんでした。自分の現状を知り、壁にぶち当たり大学入学前にサッカーとは決別しました。
親元を離れ一人で上京し学生生活を始めると、同じ大学に通う在日韓国学生会の子と知り合いました。その学友に誘われ学生会のイベントに参加して、初めて自分自身から在日の仲間を作ることができました。
夢はアフリカなど、発展途上国のために働くことです。欲を言えば青年海外協力隊をめざします。幼い頃から韓国をはじめ様々な国と触れていたので、その培った経験を活かし発展途上国のために何かできないのかと思い続けていました。
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テーマパークのプロに
金熙昌さん 兵庫県生まれ・ホスピタリティツーリズム専門学校大阪2年
(学生会大阪本部会長) 幼少期は里帰りの母とともに頻繁に韓国に行っていましたが、韓国人だという自覚はほとんど持っていませんでした。ただ、現地では3食とも韓国料理でしたので、食の面で言うと完全に韓国人化していましたね。
そんな中、私に衝撃を与えたのが、全国の在日の仲間約350人と一緒に参加したオリニジャンボリー。あれだけ大勢の仲間たちと過ごした5日間すべてが楽しくて、「韓国人で良かった」と感じました。
学生会を通じて知り合った仲間とは将来も繋げていきたいと思います。また、今通う学校には韓国人留学生も多く、彼らとも繋がりを広げていきたいですね。
子どもの時はトレジャーハンターになるのが夢でした。その冒険心は今も持っています。自分の周りの人たちを幸せにする仕事に就きたいし、そのために今の学校(テーマパーク科)で学び、USJでアルバイトしながら実践を身につけています。表現力豊かなテーマパークのプロになって多くの人たちに夢を与えたいですね。
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めざす道はエンジニア
金敏章さん 東京都生まれ 湘南工科大学2年 小学校の頃、オリニ土曜学校に通って韓国語を勉強しました。在日を自覚したのは、祖父から韓国の話や日本に来た経緯、民団関係の活動をしていると聞いたからです。
小学校の同級生だった現学生会中央副会長と現青年会東京荒川支部会長の鄭昌晃君から誘いがあり、大学2年生の頃から学生会や青年会のイベントに参加し始めました。同じルーツを持つ多くの人々と知り合うことができ、共感し合える良き仲間が増えたと思います。
韓国というルーツを持つ者同士が出会える場を作って下さったことに感謝の気持ちを持っています。
社会に出たら自由な時間はほとんど無いので、学生のうちに海外や国内の多くの地域を訪れて、今しか出来ないことを思いっきりやりたい。
将来の夢はシステムエンジニアになり、人々の生活を発展させるシステムを作ることです。大学でも関連した授業を受けており、この4年間で少しでも多くの知識を取り入れたい。
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イベント参加 広げた輪
金悠明さん 京都府生まれ 京都学園大学2年 小学4年生と6年生のとき、夏休みに開催するオリニジャンボリーに参加しました。大学に入り青年会、学生会にも参加するようになり、在日の友だちも増えました。在日だという自覚を持ち始めたのは大学1年生くらいからです。
その後、民団の次世代母国研修や学生会のKSJやイベントに参加。全国各地から集まる在日とも友だちになり、地方に行く時などは連絡を取り合い遊ぶようになりました。
僕は、学生のうちはできるだけイベントに参加して輪を広げられたらいいと考えています。また就職しても青年会に参加したり、学生会での友だちとも関わり続けようと思います。
将来の夢は明確ではありませんが、学生のうちにやりたい事、進みたい道を決めたいと思います。
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年1回の再会が楽しみ
鄭昌晃さん 東京生まれ・尚美学園大2年
(学生会中央本部副会長、青年会東京荒川支部会長) 小学3年生の時にオリニサマーキャンプに参加するようアボジに勧められました。参加するまでは韓国にあまり興味がありませんでしたが、自分と同じルーツをもつ仲間と触れ合い、息も合い楽しかったです。それ以来、毎年参加するようになりました。中学、高校、大学生の現在に至るまで次世代母国研修に参加しています。1年に1回、仲間と再会するのが楽しみですね。
アボジが映像関係の仕事をしている影響で、自分もカメラなどをいじったりするうちに興味を持ち始めました。今は映像関係の大学で勉強しています。将来は映像の仕事に就ければと思っています。
在日だと自覚してきたのは、やはり本名の鄭で生活してきたからだと思います。「てい」と呼ばれて育ち、周りの日本人と違うので、「自分は韓国人か」と思い始めました。だからといっていじめにあったりとかはありません。
在日の仲間と知り合って、日本の友人には言えないことも、同じ境遇だと何でも語り合えるということを実感し、在日であることに堂々としていられます。