掲載日 : [2017-01-18] 照会数 : 5731
サラム賛歌<23>分断の歴史の片隅で
喬桐島の人気理髪所
池光植さん
仁川市には、西海にたくさんの島がある。江華島の北西部から、3・4㌔の長さの喬桐大橋を渡ると、喬桐島だ。面積は47平方キロメートル。人口は約3千人。3年前にこの橋が架かる前は、ひなびた孤島だった。朝鮮時代には、王族の流刑地でもあった。
喬桐大橋を渡ると、若い軍人が立っていた。ここは民統線(民間人統制区域)だから、島に入るには身分証明書が必要だと聞いていた。しかし車をちらりと見た軍人は、何も言わずに通行を許可した。
喬桐島の北側の海の向こうは、黄海南道延白郡だ。実は喬桐島の住民の多くが、朝鮮戦争の戦火を逃れて、渡ってきたと聞いた。北の故郷まで、小さな漁船でも往来できる距離なのだ。
戦争が終わったら故郷に帰るつもりで、この島に留まった人々。しかし分断されて、すでに60年余りの歳月が流れた。韓国では、故郷に戻れない人を「失郷民」と呼ぶ。
小さな島の中央に、大龍市場がある。住民たちが、故郷の延白にあった市場を再現したものという。その間、若い世代の多くが、生活の糧を求めて、島を離れて行った。島には老人たちが残り、大龍市場はまるで、1960年代の映画のセットのような風情のまま、すっかり老朽化した。
逆に、そんなレトロな雰囲気が珍しくて、10年ほど前から、喬桐島に観光客が押し寄せて来るようになった。ドラマの撮影地になったり、人気テレビ番組「1泊2日」のロケも行われた。平日はほとんど人通りもない市場が、今では週末ごとに、島外からの客で大賑わいになる。
市場の中に、「喬桐理髪所」があった。平日で、客はいなかった。鏡の前には、昔ながらの革張りのひじ掛け椅子が並んでいる。バリカンやクシ、ハサミも、かなりの年季が入っている。店の奥には、洗髪をするタイル張りの洗面台がある。
店の主人の池光植さん(77)は、「これまで、どれだけたくさんのテレビや新聞の取材を受けたことか」と苦笑いした。今や池さんは、すっかり有名人だ。古びた店を守りながら、客に問われるままに昔語りをするのが、池さんの日課になっている。
ソウル近郊だけでなく、済州島からも、観光客がやって来ると言う。今も現役の理髪師である池さんの暮らしは、おかげで上向きになった。有名なタレントや政治家の頭も刈った。店にはそのときの写真やサインなどが、ずらりと掛かっている。
池さんは13歳のとき、家族と共に喬桐島に避難した。理髪店の見習いとして働き始めた当初は、まだ水道もなくて、2㌔も離れた井戸まで、何度も水汲みに通わなければならなかった。掃除や片付けだけでなく、暑い夏には、客を団扇であおぐのも仕事だった。見よう見まねで散髪のしかたを覚え、後に理髪師の資格をとった。
避難民のだれもが、貧しく苦しい日々を送っていた時代だった。だれもが故郷に戻ることだけを願いながら、歳月を重ねていった。喬桐島の北辺の丘に登れば、今も故郷の村が見える。しかし帰れないまま、故郷の記憶を持つ人々は、また一つ年を重ねた。
戸田郁子(作家)
(2017.1.18 民団新聞)