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日本の政府と国民へのメッセージ
「過ち清算を」切々…韓国「民族主義」には苦言も
A 米国や英・豪などの著名で世界的な影響力も大きい日本研究者ら187人が連名で「日本の歴史家を支持する声明」を英文と日本文で発表した(5日)。内容は歴史解釈の、最も深刻な問題の一つである慰安婦問題に絞られている。このタイトルには「?」と思ったが、全文を読めばそれは、対象に直接的にアプローチするあざとさを避けるクッションであって、中身は「日本の政府と国民に対するメッセージ」であることがよく分かる。しかも、安倍晋三首相の米議会上下両院合同会議での演説(4月29日)を強く意識したものだ。配慮に配慮を重ねた文面であることが逆に、指摘するところの重要性を際立たせているように思う。
B 声明文は、署名者すべてに回付され、メールなどでやりとりしながら練りに練ったもので、英文、日本文ともに正文とされている。安倍首相の訪米前に公表すべきだとの意見もあったが、政治性をおびさせるべきではないとの判断から見送られたという。この3月に米国で開かれたアジア研究協会定期年次大会で提案されたというから、満を持しての公表と言えるだろう。
被害者の尊厳にどう寄りそうか
C 声明は冒頭で、そのタイトルにふさわしく、「日本の多くの勇気ある歴史家が、アジアでの第2次世界大戦に対する正確で公正な歴史を求めていることに対し、心からの賛意」を表明している。「勇気ある歴史家」がどういう立場なのか特定していないが、そうするまでもなく、90年代から台頭した歴史修正主義者を指していないことは明らかだ。
D 声明では「私たちの多くにとって、日本は研究の対象であるのみならず、第二の故郷」ともうたった。彼らは慰安婦問題に利害関係があるわけではない。世界的に評価の高い、日本に親しんだ研究者らであり、自らの本分にもとづいて、真心から呼びかけている。本気で日本を、近隣国との関係を心配しているのだと思う。日本の関係者は声明に盛られた苦言を衷心から吟味せざるをえないだろう。ただ、それが韓国にも言えることを見過ごすべきではない。
B まさしく。「(慰安婦問題は)日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられ」、「被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱する」との指摘は、無視できるものではない。
C 韓国の市民運動の政治的発言力は、日本のそれと比較できないほど強力だ。慰安婦問題に取り組む挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)もその代表格だろう。韓国では今でも、何かと過去の親日行為が取りざたされ、糾弾材料になる。植民地支配の清算にかかわる問題には、そうした「民族主義」「民族正義」が幅を利かせるだけに、政府も動きがとりにくい。
D 韓国政府の足元は見切られている。慰安婦問題を解決するうえで最大の障害は、韓国側のゴールポストが動いてしまうこと、といった憤懣が日本の政府当局者から語られて久しい。日本を糺す側の韓国が逆に、日本政府による「河野談話」再検証という嫌がらせを受け、守勢にまわった印象すらあった。慰安婦問題で韓国は、日本が揺さぶりをかければ挺対協が強硬に反発し、政府が窮地に陥るという構図になっている。
A 声明の本旨が大局的な見地からの尊重すべき見解であることは、いかなる立場からも容易には否定できないだろう。その影響力が着実に広がっていくことを期待したい。署名した研究者たちは今後、個々人の見解を述べるとしても、声明の基本精神を尊重するはずだ。日本や韓国は声明をどの程度の比重で受けとめ、慰安婦問題にどう対処していくのか、国の器量が問われることになる。
B この声明が自らに有利に働くのか否か、韓日両国はそれぞれ懸命に値踏みしているだろう。
日本のメディアなぜか関心薄い
C 値踏みというより、真摯に受けとめるべきだが、声明について両政府からのコメントはない。韓国とは違い日本のメディアの関心もさほど強いとは思えない。朝日新聞は7日付夕刊の第一報こそ「総合2」面の3段見出し記事だったが、翌8日付には1面の4段見出し囲み記事のほか、声明署名者のコメントを中心とした解説と声明全文を掲載した。もっとも積極的に扱ったが、それ以降は11日現在まで、掘り下げていく動きが見えない。
D 読売新聞は8日付の「国際」面で、「世界遺産 韓国、日本に撤回要請へ」という3段見出しのそばの2段見出しで声明内容を淡々と報じた。ひとクセ見せたのは同日付の産経新聞だ。署名者には日本研究者とは言えない人物がいるとか、責任の所在はすべて日本側にあるとしていた韓国側の主張を後退させたとか、韓国側が「20万人以上」と主張する慰安婦の数について明示を避けたとか。韓国をおとしめることに力点をおいていた。
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細部にこだわる論議 戒める
軍関与 否定できぬ…「裏付け資料 相当に発掘」
A 産経新聞は声明の趣旨を完全にねじ曲げたね。声明は「日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄され」「各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかった」可能性も指摘した。また、「特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわること」をたしなめている。日本の時流に照らすと、かなり手厳しいものだ。
B さっき「値踏み」と言ったのは、自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(委員長=中曽根弘文元外相)などを意識したからだ。この特命委は、近くまとめる予定の慰安婦問題についての「提言」が国際的な関心を呼ぶことを想定し、声明を考慮する姿勢を明らかにしている。この特命委の性格からして、どう考慮することができるのか、注目している。
C 昨年10月に発足した委員会だが、その中心人物の稲田朋美政調会長は、世界中に「慰安婦=性奴隷」という大ウソが広まっており、「日本の名誉をおとしめようとする勢力は、『強制連行』『誘拐』『監禁』『強姦』など事実にもとづかない犯罪行為を並べ立てている」と言い立ててはばからない。そもそも「提言」などおこがましいにも程があると思うが。
D しかし、声明が問題にしているのはまさに、特命委のような非を認めようとしない存在だ。その土台になったとも言える「河野談話」の作成過程に対する再検証や「日本軍や官憲が強制的に女性を募集したという客観的資料はない」としてきた安倍政権の姿勢、「元慰安婦の聞き取り調査はきわめてずさんで証拠能力がない」などと声高に叫ぶ一部メディアの態度も、自ずとその対象に含まれる。どんな「提言」になるのか、やはり興味深い。
B 安倍政権ではよく、「軍の関与」や「強制性」を示す客観的な資料はないと言ってきた。どうしてそんな態度がとれるのか。声明も指摘していることだが、軍が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼却した事実はよく知られている。13年8月には、敗戦直後、当時の宮内省が機密書類の焼却を指示した文書が発見された。政府の中枢機関でもそうだったことからすれば、「客観的資料はない」などと大見得を切れるはずがない。
C 戦時下で最大の言論弾圧とされた「横浜事件」(約30人が有罪、4人が獄死)は、再審請求がずっと退けられてきたが、その理由は「記録がない」と言うものだった。あきれたことに、裁判記録が焼かれていたのだ。それはともかく、元陸軍省幹部が東京裁判に提出した文書焼却を認めた書面、天皇が不利になるような文書の焼却を指示した海軍の暗号電報を解読した米軍資料など、証拠隠滅をはかった記録や証言は実に多い。
D 文書の不在が事実の存在を否定することにはならない、ということだ。安倍政権に対して熱誠的な支持の立場に立つ産経新聞は、声明について「資料の詳細などに具体的に触れていない」とも書いた。声明はそもそも「資料の詳細」に触れる性格のものではない。それにしても声明は、「日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されて」おり、被害者の「証言は全体として心に訴えるものであり、また兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付け」られているとするなど確信に満ちている。「狭い法律的議論」「限定された資料」にこだわるのは、「彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視すること」との訴えには説得力がある。
安倍演説を賛え大胆な行動促す
A 国際世論を敵に回さないために、安倍首相も特命委の皆さんも、声明をむげにはできないだろう。安倍首相は米議会合同会議の演説で、「紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの世代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません」と述べた。
文脈からは唐突な印象がぬぐえず、むしろ慰安婦問題に言及しないことの不自然さが目立った。読売新聞(10日付)の「訪米舞台裏」によれば、「米議会での演説であることを考慮」したからだという。
慰安婦問題に触れたくないが、米国での関心が高いだけに素通りするわけにもいかない。そんな計算が透けて見える。「女性の人権が侵されない世の中の実現」を訴えた安倍首相には、「『慰安婦』問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な第一歩となる」とした声明が重く響くことだろう。
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「日本の歴史家を支持する声明」(抜粋)
世界の著名な日本研究者ら187人が発表
(日本の戦後70年の)成果が世界から祝福を受けるにあたっては、障害となるものがあることを認めざるをえません。それは歴史解釈の問題であります。その中でも、争いごとの原因となっている最も深刻な問題のひとつに、いわゆる「慰安婦」制度の問題があります。この問題は、日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました。
元「慰安婦」の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されるとすれば、それは問題の国際的な解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することにもなります。しかし、同時に、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることも、また受け入れることはできません。20世紀に繰り広げられた数々の戦時における性的暴力と軍隊にまつわる売春の中でも、「慰安婦」制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から、貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきものであります。
「正しい歴史」への簡単な道はありません。日本帝国の軍関係資料のかなりの部分は破棄されましたし、各地から女性を調達した業者の行動はそもそも記録されていなかったかもしれません。しかし、女性の移送と「慰安所」の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は歴史家によって相当発掘されていますし、被害者の証言にも重要な証拠が含まれています。確かに彼女たちの証言はさまざまで、記憶もそれ自体は一貫性をもっていません。しかしその証言は全体として心に訴えるものであり、また元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられています。
「慰安婦」の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数に落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません。
歴史家の中には、日本軍が直接関与した度合について、女性が「強制的」に「慰安婦」になったのかどうかという問題について、異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです。特定の用語に焦点をあてて狭い法律的議論を重ねることや、被害者の証言に反論するためにきわめて限定された資料にこだわることは、被害者が被った残忍な行為から目を背け、彼女たちを搾取した非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視することにほかなりません。
日本の研究者・同僚と同じように、私たちも過去のすべての痕跡を慎重に天秤に掛けて、歴史的文脈の中でそれに評価を下すことのみが、公正な歴史を生むと信じています。この種の作業は、民族やジェンダーによる偏見に染められてはならず、政府による操作や検閲、そして個人的脅迫からも自由でなければなりません。私たちは歴史研究の自由を守ります。そして、すべての国の政府がそれを尊重するよう呼びかけます。
今年は、日本政府が言葉と行動において、過去の植民地支配と戦時における侵略の問題に立ち向かい、その指導力を見せる絶好の機会です。4月のアメリカ議会演説において、安倍首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、そして他国に与えた苦しみを直視する必要性について話しました。私たちはこうした気持ちを賞賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやみません。
過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養います。「慰安婦」問題の中核には女性の権利と尊厳があり、その解決は日本、東アジア、そして世界における男女同権に向けた歴史的な一歩となることでしょう。
性暴力と人身売買のない世界を築き上げるために、そしてアジアにおける平和と友好を進めるために、過去の過ちについて可能な限り全体的で、でき得る限り偏見なき清算を、この時代の成果として共に残そうではありませんか。
(2015.5.13 民団新聞)