金倉抻(66) 東京都・自営業
組織的な〞偽装〟も
許せない「獅子身中の虫」
日本が北韓からのすべての輸入を禁止したのが06年。輸出も09年から全面禁止だ。それでも日本には、朝鮮総連(以下、総連)という北韓の忠実な下請けが存在している。だから、裏の、外貨稼ぎの相手、先端技術や兵器部品などの調達先として日本に目が向くことになる。北韓から指示があれば、総連としても忠誠の証を見せなければならない。
したがって、北韓・総連ラインによる不正な輸出入は地下工作次元で執拗に行われているはずだ。その一部が事件として摘発されても、少なくとも私は「またか」と思うことより、摘発の事案とタイミングに関心を向けてきた。北韓・総連に対する日本当局の姿勢を推測する材料になるからだ。
ただ、それだけですますわけにもいかない。その種の事件で逮捕された者のなかに、韓国籍が少なくないからである。今回もそうだった。総連のトップである許宗萬議長と南昇祐副議長の自宅が家宅捜索を受けたことで、格別な注目を引くことになった北韓産マツタケの不正輸入事件のことだ。
外為法違反の疑いで逮捕されたのは、貿易会社「東方」の社長ら2人だけだったが、ともに韓国籍であることが一部メディアによって明らかにされた。日本人の多くは、「総連なのに韓国籍?」「韓国籍なのに総連?」という疑問を抱くはずもなく、「韓国人の奴らが!」という感情に直結させるだろう。
朝鮮籍切り替え歓迎の流れだが
親の代から民団に所属してきた私のような韓国籍の同胞たちは、「共和国」を敬い(?)、総連のために不正を働く韓国籍者が少なくないことを腹立たしく思っているに違いない。胡散臭い韓国籍者の存在は、韓日友好の懸け橋役を自認し、地域共生のスローガンを掲げる民団にとっても頭痛の種である。
朝鮮籍の総連同胞が韓国籍に切り替え、韓国の旅券を取得するにあたり、かつては民団が身元を保障するシステムがあった。韓国の法律が変わり、民団の身元保証がなくとも、個々人の申請で切り替えが可能になった。90年代に入ると「共和国」や総連への失望が広がり、韓国籍取得者や帰化者が増え始め、朝銀信用組合の相次ぐ破たんや02年に北韓が日本人拉致を認めて以降は急増したと言われる。総連の弱体化という意味において、これ自体は歓迎すべき流れだった。
しかし、そうした切り替え者が民団に入ってくることはさほど多くない。はっきりしているのは、切り替え者の一部が「在日韓国人社会」にとって、獅子身中の虫になったということである。北韓当局も対韓・対日工作の効率を上げるために、総連活動家の韓国籍への切り替えを奨励したとされる。
おそらく、今回逮捕された2人もそのようなケースではないだろうか。私には、私が「この総連崩れが」と冷やかせば、「何を! ルーズな民団野郎が」とやり返してくる仲の飲み友が何人かいる。民団関係に顔を出すことはないが、今はみな韓国籍だ。彼らの情報によれば、「東方」の社長が韓国籍になったのは数年前のことらしい。
今回のような事件があると、まともな「総連崩れ」の肩身もせまかろう。「総連崩れ」に「まともな」という形容もおかしいが、総連中央を厳しく批判し縁を切ってはいても、総連活動家であったことが今も自身の存在証明になっており、民団にくみすることをよしとせず、昔の仲間とだけつるんでいる、といったほどの意味だ。
そんな彼らが「たかがマツタケで議長に捜査の手が入るとは。総連も完全にヤキが回った」などと嘆き、怒っている。許宗萬体制の総連が力をつけることは決して望まないが、かといって、かつて情熱を傾けた組織が地に墜ちるのを見るのもつらいのだ。
これまでも、なにかにつけて許議長をこき下ろしてきた彼らは、きっかけがあれば、総連中央糾弾の論議に火をつけるが、とどのつまり、なにを言っても自分がみじめになるだけだ、という思いにかられて終わるのが定番だった。
総連を改革する先頭に立てぬか
各地の朝銀が次々に破たんし、総連中央会館が競売されるに至ったのは、総連が北韓独裁者への資金供給マシーンになり下がったからだ。自身の栄達のために、その先頭に立ったのが許議長である。彼が責任副議長だった当時、朝銀破たんなどの責任を取らせて、追放(北韓による召喚)しようとする動きがあった。しかし、金正日がかばい、そのうち沙汰やみになっている。
「総連崩れ」は皆がみな、許宗萬が議長でいる限り、不正・犯罪を働いてでも北韓に奉仕する総連の姿勢は変わらず、組織改革の可能性はないとあきらめている。しかし、彼らにも在日としての自意識はまだある。脱北者が韓国国内で北韓民主化運動を率先しているように、民団となんらかのつながりを持ち、総連改革を追求してもいいはずだ。
民団には、来歴以上に人物本位で幹部を登用する伝統がある。朝鮮大学まで出たばりばりの総連活動家が幹部となって、民団を支えている例も珍しくない。
ふだんは民団を小馬鹿にする「総連崩れ」も、民団の5・17事態(06年、当時の中央執行部が総連と共同声明を発表、民団を事実上、従北組織に組み込もうとした=編集部注)を下からの力で克服した民団を心底うらやましがっていた。その力の一角を占めたのが総連出身者だったことを彼らも知るべきだろう。
5・17事態の背景として思い起こされるのは、金大中・盧武鉉大統領と続いた98年2月からの10年間で、韓国籍になった総連活動家が頻繁に日本と韓国を行き来するようになり、韓国の従北・「進歩」勢力とのつながりを直接深めたことだ。
李明博政権になって自由な行き来はままならなくなったとはいえ、その関係まで遮断されたわけではない。韓国の政権交代によっては公然と復活することもありうる。そうなれば、現体制の総連が韓国社会に寄生し、滋養を吸い取ることになるだろう。
在日同胞社会は、その内部要因においても、外部環境においても、複雑で困難な時代が続くだろう。意識の高い総連離脱者が過去のプライドにとらわれず、在日と韓半島南北の将来に即した大局的な観点から、総連改革のためにもうひと働きするよう望まずにはいられない。その動きは北韓にも必ず影響するはずだ。民団も、彼らとの連帯を固める努力に本腰を入れてほしいと思う。
(2015.4.8 民団新聞)