掲載日 : [2021-07-07] 照会数 : 4661
勝ちとった人間の尊厳…「らい予防法」違憲判決から20周年
[ 国立ハンセン病資料館でのギャリー展から ]
国立ハンセン病資料館展、勝訴までの道のりたどる
1996年の「らい予防法」の廃止を受け、同法に基く強制隔離は違憲と訴えた国家賠償請求訴訟の勝訴判決から20周年。同訴訟の意味と意義を振り返る「ギャラリー展 私たちの上に、今日、青空が広がった」が、6月30日まで東京・東村山市の国立ハンセン病資料館で開催された。いわれなき偏見から「生きるに値しない人生」と社会から排除され、人生を蹂躙されてきた元患者と家族の苦しみがよみがえる。
提訴は98年7月31日。菊池恵楓園入所者4人と星塚敬愛園入所者9人の計13人が、ハンセン病施策による人権侵害の認定と謝罪、および補償を国に求めた。原告には病気と国籍による2重の差別にさらされてきた在日同胞もいた。なかでも多磨全生園で療養していた故李衛さんは協議会事務局長として重責を担った。
「ないをいまさら、もう終わったこと」「そんなにお金がほしいのか」「おかみにはむかうつもりか」‐。原告は当初、心無い誹謗中傷に苦しみ、孤独な闘いを強いられた。被告国側も「当時の隔離政策は正しかった」との主張を曲げず、全面的に争う構えを見せた。
勝訴の決め手となったのは終身隔離の過ちを認めた元厚生省幹部の告白だった。判決文は「らい予防法」の改廃に向けた諸手続きを進めることを怠った厚生相の違法と、国会議員による立法不作為の故意・過失を認めた。
国が主張した「被害者の損害賠償請求権は違法行為から20年で消滅する」とした除籍期間については、「原告の被害が『らい予防法』廃止まで継続的・累積的に発生していた」として退けた。
「ギャラリー展」では訴訟の至った経緯と勝訴までの道のりをパネル、写真、当時の新聞資料など約50点を使い、時系列で振り返った。
同資料館事業部事業課の木村哲也主任は「コロナに感染した人の家族が石を投げられるというのはかつて、ハンセン病の家族も味わってきたこと。病をもとにした差別・偏見は決してあってはならない。コロナ禍のいま、ハンセン病差別を過去の問題ではなく、いま現在の問題として関心を持ってほしい」と述べた。
厚生労働省によれば、全国のハンセン病療養所で余生を送る回復者は1004人。その平均年齢は87歳という。
(2021.07.07 民団新聞)