掲載日 : [2021-09-08] 照会数 : 3973
虐殺の記憶 次代へ…関東大震災 犠牲者の冥福祈る
[ 慰霊碑に手を合わせる李順載団長(神奈川) ] [ 熊谷市式典で追悼のことばを読む白守義議長(埼玉) ]
1923年9月1日に発生した関東大震災直後に日本政府が戦争も起きていないのに戒厳令をしいたため軍隊と警察、自警団などによっていわれなく虐殺された同胞を慰霊・追悼する式典が神奈川、埼玉、千葉でも行われた。コロナ禍で式典は簡素化されたが、参席した関係者はこの苦い体験を記憶し、次代に継承していくことを誓った。
宝生寺で慰霊祭…民団神奈川本部
【神奈川】民団神奈川本部(李順載団長)は1日、虐殺された韓国人の位牌をまつる横浜市南区堀ノ内町の青龍山宝生寺で慰霊祭を執り行った。
本堂での読経には本部3機関長、傘下団体長、民団横浜支部の関係者らごく少数の役員が参列した。読経が終わると境内の関東大震災韓国人慰霊碑前で焼香した。境内に建つポールには太極旗が掲揚された。
『独立新聞』(1923年12月5日付)によると約4009人が神奈川県内で犠牲となった。そのほとんどが横浜だったという。震災直後から同胞の遺体を収集、埋葬し、慰霊の活動をしてきた社会事業家の李誠七さんは震災から1年後、宝生寺の住職の協力を得て「横浜朝鮮人追悼会」を行った。その後、追悼法要を民団が引き継ぎ、70年には有志が資金を募って慰霊碑を建立した。
祭壇設けて献花…民団千葉船橋支部
【千葉】大震災で通信網が途絶する中、船橋の海軍東京無線電信所船橋送信所は流言蜚語を日本全国に伝える役割を果たした。同送信所は周辺住民に武器を渡して警備をさせたことで、自警団の虐殺事件に加担した。
また、市川でも東京方面から非難してきた同胞が襲われた。このほか当時、建設途中だった北総鉄道(現・東武野田線)の工事で働いていた朝鮮人労働者とその家族も犠牲となった。
民団船橋支部(張恒星支団長)が1日、同支部で行った追悼式は参列者を民団と婦人会の支部役員のみとした。千葉韓国教育院からは李淳任院長が自ら希望して加わった。全員で1分間の黙とうを捧げ、献花。張支団長が追悼辞を朗読した。
2市1町が主催…民団埼玉が参席
【埼玉】埼玉県では1日、虐殺事件が起こった本庄市、上里町、熊谷市で各自治体の主催する慰霊祭・追悼式が簡素な形式で行われた。民団埼玉本部から役職員10人が駆けつけた。
本庄市の長峰墓地では民団と総連が毎年交互に読み上げてきた追悼辞はなかった。民団側を代表して田虓玔団長が焼香し、吉田信解市長がお礼の言葉を述べた。上里町は僧侶による読経がなかった。山下博一町長が民団関係者を出迎えた。
熊谷市ではほぼ例年どおりの式典となった。会場のメモリアル彩雲で民団本部の白守義議長が追悼のことばを読み上げ、田団長、韓悦功埼玉韓商会長とともに代表献花を行った。
埼玉県では9月1日の夜から流言が飛び始めた。県も国の政策に従い「不逞鮮人暴動に関する件」という移牒を出したことから、熊谷市、本庄市、上里町の各地で警戒していた自警団と群衆が東京から避難してきた同胞を襲った。
(2021.09.08 民団新聞)