掲載日 : [2022-10-19] 照会数 : 890
強制労働犠牲者を追悼「笹の墓標」巡回展東京で開催
[ 強制動員と強制労働の歴史を伝えるパネル展示 ]
北海道皮切りに
第2次大戦中、北海道雨竜郡幌加内町のはずれの朱鞠内で戦時強制動員と強制労働の歴史を伝えてきた歴史資料館「笹の墓標展示館」の巡回展が13日まで東京・中央区の築地本願寺で開かれた。朱鞠内の旧・光顕寺に設けられた展示館を運営するNPO法人「東アジア市民ネットワーク」などが倒壊した展示館の再建を訴えて北海道を皮切りに全国を巡回している。
展示品はダムや鉄道工事の犠牲者が日常的に使用していたお茶碗、印鑑、入れ歯、石けん箱、歯ブラシ、キセル、位牌、遺骨を収めていた木棺の一部など。地下足袋は炭化が進み、ボロボロの状態。いずれも幌加内でしか目にすることができない貴重な副葬品ばかりだ。
5日の展示会初日には駐日韓国大使館の李漢相公使参事官が参席、「展示館による追悼事業は、戦時下に動員され、命を落とされた方々を追悼し、韓日両国民に正しい歴史を伝え、両国の友好増進にも貢献している」と述べた。
朱鞠内湖は戦時中に造られた人造湖で、水力発電用のダムだ。1943年の完成まで2000人近い朝鮮人、中国人が働かされていたとされる。戦時状況が悪化するにつれて突貫工事となり、労働はより過酷になった。
事故や病気などで犠牲となった遺骨は光顕寺で一時保管された後、集落の共同墓地に隣接する笹やぶに埋められていた。
長い年月の間に忘れ去られていたが「笹の墓標展示館再生 和解と平和の森を創る実行委員会」共同代表の殿平善彦さん(浄土真宗本願寺派一乗寺住職)が光顕寺で偶然、犠牲者の位牌と出会い、80年から地域の歴史調査と遺骨の発掘が始まった。発掘された遺骨のうち、すでに115体が2015年に市民の手で韓国に奉還され、ソウル市立墓地に納骨された。
光顕寺は97年以降、東アジアの平和を創造する歴史資料館として東アジアからやってきた青年たちの重要な交流拠点となっていた。だが、20年1月、展示館が雪の重みで倒壊し、翌21年には宿泊施設となっていた庫裏が失火で焼失した。
新しい展示館と宿泊施設は23年秋に完成予定。募金目標額6000万円のうちすでに4500万円が集まったという。